・・・ もしあの時空腹のまま、畢波羅樹下に坐っていられたら、第六天の魔王波旬は、三人の魔女なぞを遣すよりも、六牙象王の味噌漬けだの、天竜八部の粕漬けだの、天竺の珍味を降らせたかも知らぬ。もっとも食足れば淫を思うのは、我々凡夫の慣いじゃから、乳糜を・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・吹きまく風にもまれて木という木は魔女の髪のように乱れ狂った。 二人の男女は重荷の下に苦しみながら少しずつ倶知安の方に動いて行った。 椴松帯が向うに見えた。凡ての樹が裸かになった中に、この樹だけは幽鬱な暗緑の葉色をあらためなかった。真・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・冷たい山気が沁みて来た。魔女の跨った箒のように、自動車は私を高い空へ運んだ。いったいどこまでゆこうとするのだろう。峠の隧道を出るともう半島の南である。私の村へ帰るにも次の温泉へゆくにも三里の下り道である。そこへ来たとき、私はやっと自動車を止・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・人が、姫君のためにはハッピーエンド、彼らの目には悲劇であるかもしれない全編の終局の後に、短いエピローグとして現われ、この劇の当初からかかっていた刺繍のおとぎ話の騎士の絵のできあがったのを広げてそうして魔女のような老嬢の笑いを笑う。運命の魔女・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・社会主義的リアリズムは、度のくるった近眼鏡のように一定の距離をもって遠くにあるものを目まいのするほど近づけて見せる方法でもないであろうし、魔女の箒のように、一定の観念にまたがって、歴史の現実をとび越すすべを奨励するものでもないはずである。社・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・こないだ書いた「魔女」の原稿は書き出しから気にくわず見るのもいやになったんで、一寸おしかったけれども焼いてしまった。も一度よく考えて書いて見ようと思った。自分の書いたものを火にもやしたのは生れて始めてだった。生れてはじめての事をするほどその・・・ 宮本百合子 「日記」
・・・森の魔女の話も書いた。両親たちは自分たちの生活にいそがしい。家庭生活や夫婦生活のこまかいことがませた自分に見え、親たちを批評するような心持になった。お茶の水の女学校もつまらない。陰気な激しい心になって暮した。よく学校へ行くのをやめた・・・ 宮本百合子 「年譜」
出典:青空文庫