去年の春の夜、――と云ってもまだ風の寒い、月の冴えた夜の九時ごろ、保吉は三人の友だちと、魚河岸の往来を歩いていた。三人の友だちとは、俳人の露柴、洋画家の風中、蒔画師の如丹、――三人とも本名は明さないが、その道では知られた腕・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・路といってはもとよりなんにもない。魚河岸へ鮪がついたように雑然ところがった石の上を、ひょいひょいとびとびに上るのである。どうかするとぐらぐらとゆれるやつがある。おやと思ってその次のやつへ足をかけるとまたぐらりとくる。しかたがないから四つんば・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・正月飾りに、魚河岸に三個よりなかったという二尺六寸の海老を、緋縅の鎧のごとく、黒松の樽に縅した一騎駈の商売では軍が危い。家の業が立ちにくい。がらりと気を替えて、こうべ肉のすき焼、ばた焼、お望み次第に客を呼んで、抱一上人の夕顔を石燈籠の灯でほ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 人だちの背後から覗いていたのが、連立って歩き出して、「……と言われると、第一、東京の魚河岸の様子もよく知らないで、お恥かしいよ。――ここで言っては唐突で、ちと飛離れているけれど、松江だね、出雲の。……茶町という旅館間近の市場で見た・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・昔は大抵な家では自宅へ職人を呼んで餅を搗かしたもんで、就中、下町の町家では暮の餅搗を吉例としたから淡島屋の団扇はなければならぬものとなって、毎年の年の市には景物目的のお客が繁昌し、魚河岸あたりの若い衆は五本も六本も団扇を貰って行ったそうであ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 朝になって見ると、広瀬さんは早く魚河岸の方へ出掛けて行く。前の日に見えなかった料理方の人達も帰って来ていて、それぞれ一日の支度を始める。新七もじっとしていなかった。休茶屋の軒先には花やかな提灯などを掛け連ねさせ、食堂の旗を出す指図まで・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・もとはこんなぐあいに繁華であったのであろうが、いまは、たいへんさびれてしまった。魚河岸が築地へうつってからは、いっそう名前もすたれて、げんざいは、たいていの東京名所絵葉書から取除かれている。 ことし、十二月下旬の或る霧のふかい夜に、この・・・ 太宰治 「葉」
・・・誰か旧魚河岸の方の側で手鏡を日光に曝らしてそれで反射された光束を対岸のビルディングに向けて一人で嬉しがっているものと思われた。こういういたずらがいかに面白いものであるかはそれを経験したもののよく知るところである。小学や中学時代に校舎の二階の・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・ 富士山の見える日本橋に「魚河岸」があって、その南と北に「丸善」と「三越」が相対しているのはなんだかおもしろい事のように思われる。丸善が精神の衣食住を供給しているならば三越や魚河岸は肉体の丸善であると言ってもいいわけである。 三越の・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・むずかしければこそ藤村君は巌頭に立ち、幾万の人は神経衰弱になる、新渡戸先生でさえ神経衰弱である、鮪のさし身に舌鼓を打ったところで解ける問題でない。魚河岸の兄いは向こう鉢巻をもって、勉強家は字書をもってこの問題を超越している。ある人は「粋」の・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫