・・・私の周囲のものは私を一個の小心な、魯鈍な、仕事の出来ない、憐れむべき男と見る外を知らなかった。私の小心と魯鈍と無能力とを徹底さして見ようとしてくれるものはなかった。それをお前たちの母上は成就してくれた。私は自分の弱さに力を感じ始めた。私は仕・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・「性質の善良のは魯鈍だ」。と促急込んで独問答をしていたが「魯鈍だ、魯鈍だ、大魯鈍だ」と思わず又叫んで「フン何が知れるもんか」と添足した。そして布団から首を出して見ると日が暮れて入口の障子戸に月が射している。けれども起きて洋燈を点けようと・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・いまでも、多少はそうであるが、私には無智な魯鈍の者は、とても堪忍できぬのだ。 一昨年、私は家を追われ、一夜のうちに窮迫し、巷をさまよい、諸所に泣きつき、その日その日のいのち繋ぎ、やや文筆でもって、自活できるあてがつきはじめたと思ったとた・・・ 太宰治 「黄金風景」
・・・私は、魯鈍だ。私は、愚昧だ。私は、めくらだ。笑え、笑え。私は、私は、没落だ。なにも、わからない。渾沌のかたまりだ。ぬるま湯だ。負けた、負けた。誰にも劣る。苦悩さえ、苦悩さえ、私のは、わけがわからない。つきつめて、何が苦しと言うならず。冗談よ・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・あの魯鈍な機械に比べて「ベルリーン」に映出される本物の機械の美しさは、実に見ていて胸がすくようである。同じ意味でソビエト映画「トルクシヴ」に現われる紡績機械もおもしろい。そうして「自然の破壊」における大仕掛けの機械架構が、どうも物足りなく思・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 外来ヨークシャイヤでも又黒いバアクシャイヤでも豚は決して自分が魯鈍だとか、怠惰だとかは考えない。最も想像に困難なのは、豚が自分の平らなせなかを、棒でどしゃっとやられたとき何と感ずるかということだ。さあ、日本語だろうか伊太利亜語だろうか・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・風景に対して魯鈍である。p.221○汎神主義の貴重な五穀が欠けている。長閑さの欠乏、 ツワイクの解答は p.220 以下 弱い。率直に、ドストイェフスキーの人間界は人間性の極度の緊張、意識された対立の誇張、観念の子として説明・・・ 宮本百合子 「ツワイク「三人の巨匠」」
・・・狂言の行中には、いつも少し魯鈍でお人よしな殿と、頓智と狡さと精力に満ちた太郎冠者と、相当やきもちの強い、時には腕力をも揮う殿の妻君とが現われて、短い、簡明な筋の運びのうちに腹からの笑いを誘い出している。 武家貴族の生活が婦人を愉しく又苦・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫