姓氏の一。
出典:gooニュース
鮎川義介の手帳、昭和14年の米大使との面会はオフレコ会合か 関西学院大学の井口治夫教授
また、巣鴨プリズン収監中には、明日をも知れない不安な状況下で来し方を振り返った鮎川の率直な心情を垣間見ることができる。手帳は鮎川自身が書き残したもので重要な資料になり得る可能性があるが、全体的に走り書きや難解な隠語が多く、それをどう理解するかだ。今後、岸信介ら満州国の革新官僚や軍部の干渉などについて鮎川がどう考えていたのかが分かる記述が見つかれば興味深い」
満州の大物、鮎川義介の手帳には岸信介の名が頻繁に 豊富な資金力、「X資金」の記述も
岸は、商工省(当時)局長から11年、満州へ移り、鮎川の満業総裁就任に尽力、総務庁次長などとして同国の行政を主導した。石原莞爾、松岡洋右らの名も鮎川とは同郷(山口県出身)の親しい間柄で手帳の記述を見ても交渉・相談相手として重要視していたことが分かる。
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