・・・ 銀灰色の靄と青い油のような川の水と、吐息のような、おぼつかない汽笛の音と、石炭船の鳶色の三角帆と、――すべてやみがたい哀愁をよび起すこれらの川のながめは、いかに自分の幼い心を、その岸に立つ楊柳の葉のごとく、おののかせたことであろう。・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・それは始終涎に濡れた、ちょうど子持ちの乳房のように、鳶色の斑がある鼻づらだった。「へええ、して見ると鼻の赭い方が、犬では美人の相なのかも知れない。」「美男ですよ、あの犬は。これは黒いから、醜男ですわね。」「男かい、二匹とも。ここ・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・やや鳶色の口髭のかげにやっと犬歯の見えるくらい、遠慮深そうに笑ったのである。「君は何しろ月給のほかに原稿料もはいるんだから、莫大の収入を占めているんでしょう。」「常談でしょう」と言ったのは今度は相手の保吉である。それも粟野さんの言葉・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・ことに東京の空を罩める「鳶色の靄」などという言葉に。 三七 日本海海戦 僕らは皆日本海海戦の勝敗を日本の一大事と信じていた。が、「今日晴朗なれども浪高し」の号外は出ても、勝敗は容易にわからなかった。するとある日の午飯・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ たいてい洋服で、それもスコッチの毛の摩れてなくなった鳶色の古背広、上にはおったインバネスも羊羹色に黄ばんで、右の手には犬の頭のすぐ取れる安ステッキをつき、柄にない海老茶色の風呂敷包みをかかえながら、左の手はポッケットに入れている。・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・花にもなんだか生気が少なく、葉も少し縮れ上がって、端のほうはもう鳶色に朽ちかかっていた。自分はこの花について妙な連想がある。それはベルリンにいたころの事である。アカチーン街の語学の先生の誕生日に、何か花でも贈り物にしたいと思って、アポステル・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・怖る怖る首を擡げた蜀黍の穂がすぐに日に焼けた鳶色に変じ出した。太十は番小屋の穢い蚊帳へ裸でもぐった。西の空に見えた夕月がだんだん大きくなって東の空から蜀黍の垣根に出るようになって畑の西瓜もぐっと蔓を突きあげてどっしりと黄色な臀を据えた。西瓜・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・しまいには遠き未来の世を眼前に引き出したるように窈然たる空の中にとりとめのつかぬ鳶色の影が残る。その時この鳶色の奥にぽたりぽたりと鈍き光りが滴るように見え初める。三層四層五層共に瓦斯を点じたのである。余は桜の杖をついて下宿の方へ帰る。帰る時・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・その杉には鳶色の実がなり立派な緑の枝さきからはすきとおったつめたい雨のしずくがポタリポタリと垂れました。虔十は口を大きくあけてはあはあ息をつきからだからは雨の中に湯気を立てながらいつまでもいつまでもそこに立っているのでした。 ところがあ・・・ 宮沢賢治 「虔十公園林」
・・・ 次に来たのは鳶色と白との粘土で顔をすっかり隈取って、口が耳まで裂けて、胸や足ははだかで、腰に厚い簑のようなものを巻いたばけものでした。一人の判事が書類を読みあげました。「ウウウウエイ。三十五歳。アツレキ三十一年七月一日夜、表、アフ・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
出典:青空文庫