・・・ ○ 顔も大きいが身体も大きくゆったりとしている上に、職人上りとは誰にも見せぬふさふさとした頤鬚上髭頬髯を無遠慮に生やしているので、なかなか立派に見える中村が、客座にどっしりと構えて鷹揚にまださほどは居ぬ蚊を吾家から提げた・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・先生は、何事も意に介さぬという鷹揚な態度で、その大将にお酌をなされた。「は、いや、」大将は、左手で盃を口に運びながら、右手の小指で頭を掻いた。「委せられております。」「うむ。」先生は深くうなずいた。 それから先生と大将との間に頗・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・とれいの鷹揚ぶった態度で首肯いたが、さすがに、感佩したものがあった様子であった。「下の姉さんは、貸さなかったが、わかるかい? 下の姉さんも、偉いね。上の姉さんより、もっと偉いかも知れない。わかるかい?」「わかるさ。」傲然と言うのであ・・・ 太宰治 「佳日」
・・・ 知っているのだけれども、知らんと言ったほうが人物が大きく鷹揚に見える。彼は、きょうの出来事はすべて忘れたような顔をして、のろのろと執務をはじめる。「とにかく、あの放送は、たのしみだなあ」 下僚は、なおも小声でお世辞を言う。しか・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・と魚容もいまは鷹揚にうなずき、「案内たのむ。」「それでは、ついていらっしゃい。」とぱっと飛び立つ。 秋風嫋々と翼を撫で、洞庭の烟波眼下にあり、はるかに望めば岳陽の甍、灼爛と落日に燃え、さらに眼を転ずれば、君山、玉鏡に可憐一点の翠黛を・・・ 太宰治 「竹青」
・・・(鷹揚お母さんが亡くなって、もう何年になりますかしら。僕がここの小学校にはいったとしの夏に死んだのですから、もう二十年にもなります。 もう、そんなになりますかねえ。わたくしどもも、お母さんのお葬式の時の事は、よく覚えていますよ。いま・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・珍しく鷹揚な猫で、ある日犬に追われて近所の家の塀と塀との間に遁げ込んだまま、一日そこにしゃがんでいたのを、やっと捜し出して連れて来たこともあった。スマラグド色の眼と石竹色の唇をもつこの雄猫の風貌にはどこかエキゾチックな趣がある。 死んだ・・・ 寺田寅彦 「ある探偵事件」
・・・挙動もいくらかは鷹揚らしいところができてきたが、それでも生まれついた無骨さはそう容易には消えそうもない。たとえば障子の切り穴を抜ける時にも、三毛だとからだのどの部分も障子の骨にさわる事なしに、するりと音もなくおどり抜けて、向こう側におり立つ・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・媚びず怒らず詐らず、しかも鷹揚に食品定価の差等について説明する、一方ではあっさりとタオルの手落ちを謝しているようであった。 しかし悲しいことにはこのたぶん七十歳に遠くはないと思われる老人には今日が一九三五年であることの自覚が鮮明でないら・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・そしてやはりどこか飼い猫らしい鷹揚さとお坊っちゃんらしい品のある愛らしさが見えだして来た。 夏休みが過ぎて学校が始まると猫のからだはようやく少し暇になった。午前中は風通しのいい中敷きなどに三毛と玉が四つ足を思うさま踏み延ばして昼寝をして・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
出典:青空文庫