・・・僕は或敵意のある批評家の僕を「九百十年代の麒麟児」と呼んだのを思い出し、この十字架のかかった屋根裏も安全地帯ではないことを感じた。「如何ですか、この頃は?」「不相変神経ばかり苛々してね」「それは薬でも駄目ですよ。信者になる気はあ・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・竜駿はいないか。麒麟児はいないか。もうはや、そのような期待には全くほとほと御免である。みんなみんな昔ながらの彼であって、その日その日の風の工合いで少しばかり色あいが変って見えるだけのことだ。 おい。見給え。青扇の御散歩である。あの紙凧の・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ 映画は芸術と科学との結婚によって生まれた麒麟児である。それで映画を論ずる場合に映画の技術に関する科学的の基礎と、その主要なテクニークについて一通りの解説をするのが順序であるが、この一編の限られた紙数の中にこれを述べている余地がないから・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・飲んだくれの父の子に麒麟児が生い立ち、人格者のむすこにのらくらができあがるのも、あるいはこのへんの消息を物語るのかもしれない。 盆踊りなども、青年男女を浮世の風にあてるという意味で学校などというものより以上に人間の教育に必要な生きた教育・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
出典:青空文庫