・・・テーブルの上には、ビールのびんが、港の船のほばしらのように並んでいます。男は、ガブ、ガブ、みんなそれを飲んだものと思われました。 女の声で、なにかいったようですが、それは子供の耳に、よく入りませんでした。それよりも、子供は、二人が、酒を・・・ 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・ 私は目下上京中で、銀座裏の宿舎でこの原稿を書きはじめる数時間前は、銀座のルパンという酒場で太宰治、坂口安吾の二人と酒を飲んでいた――というより、太宰治はビールを飲み、坂口安吾はウイスキーを飲み、私は今夜この原稿のために徹夜のカンヅメに・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・「書けるもんか。ビールがあれば書けるがね。――たのむ、一本だけ!」 指を一本出して、「――この通りだ」 手を合わせた。「だめ、だめ! 一滴でもアルコールがはいったら最後、あなたはへべれけになるまで承知しないんだから折角ひ・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・それからビールや酒や料理が廻って、普通の宴会になった。非常な盛会だ――誰しもこう思わずにはいられなかっただろう。 十一時近くなって、散会になった。後に残ったのは笹川と六人の彼の友だちと、それに会社員の若い法学士とであった。そして会計もす・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・ 一人の青年はビールの酔いを肩先にあらわしながら、コップの尻でよごれた卓子にかまわず肱を立てて、先ほどからほとんど一人で喋っていた。漆喰の土間の隅には古ぼけたビクターの蓄音器が据えてあって、磨り滅ったダンスレコードが暑苦しく鳴っていた。・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 女は帰って、すぐ彼は「ビール」と小婢に言いつけた。 ジュ、ジュクと雀の啼声が樋にしていた。喬は朝靄のなかに明けて行く水みずしい外面を、半分覚めた頭に描いていた。頭を挙げると朝の空気のなかに光の薄れた電燈が、睡っている女の顔を照・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・かかる間に卓上の按排備わりて人々またその席につくや、童子が注ぎめぐる麦酒の泡いまだ消えざるを一斉に挙げて二郎が前途を祝しぬ。儀式はこれにて終わり倶楽部の血はこれより沸かんとす。この時いずこともなく遠雷のとどろくごとき音す、人々顔と顔見合わす・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・乙、半ば飲みさしたる麦酒の小瓶を前に置き、絵入雑誌を読みいる。後対話の間に、他の雑誌と取り替うることあり。甲。アメリイさん。今晩は。クリスマスの晩だのに、そんな風に一人で坐っているところを見ると、まるで男の独者のようね。・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・私をその小都会に連れて行った婆さんも、ただものではないらしくある男にビールを一本渡してそのかわりに私を受け取り、そうしてこんどはその小都会に葡萄酒の買出しに来て、ふつう闇値の相場は葡萄酒一升五十円とか六十円とかであったらしいのに、婆さんは膝・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・夏ならば、冷いビールを、と言った。冬ならば、熱い酒を、と言った。私が酒を呑むのも、単に季節のせいだと思わせたかった。いやいやそうに酒を噛みくだしつつ、私は美人の女給には眼もくれなかった。どこのカフェにも、色気に乏しい慾気ばかりの中年の女給が・・・ 太宰治 「逆行」
出典:青空文庫