・・・小やすみの庄屋が、殿様の歌人なのを知って、家に持伝えた人麿の木像を献じた。お覚えのめでたさ、その御機嫌の段いうまでもない――帰途に、身が領分に口寄の巫女があると聞く、いまだ試みた事がない。それへ案内をせよ。太守は人麿の声を聞こうとしたのであ・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・今より七百十五年前、後堀川天皇の、承久四年二月十六日に、安房ノ国長狭郡東条に貫名重忠を父とし、梅菊を母として生まれ、幼名を善日麿とよんだ。 彼の父母は元は由緒ある武士だったのが、北条氏のため房州に謫せられ、落魄して漁民となったのだといわ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・エイゼンシュテインは特に写楽のポートレートを抽出して、強調された顔の道具の相剋的モンタージュを論じているが、われわれは広重でも北斎でも歌麿でもそれぞれに特有な取り合わせの手法を認めることができるであろう。樽の中から富士を見せたり、大木の向こ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ ○ニコライの翻訳を手伝う人に、京都の中西ズク麿さんという男あり。大した学者。不具。手足ちんちくりんで頭ばっかり大きい。歩くに斯うやってアヒルのように歩く。その人がニコライの助手で「さあズクマロさん仕事をしましょう」と笑い乍らニコライ、・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・狂歌は初代弥生庵雛麿の門人で雛亀と称し、晩年には桃の本鶴廬また源仙と云った。また俳諧をもして仙塢と号した。 父伊兵衛は恐らくは遊所に足を入れなかったであろう。然るに竜池は劇場に往き、妓楼に往った。竜池は中村、市村、森田の三座に見物に往く・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫