・・・「何かい、痲酔剤をかい」「はい、手術の済みますまで、ちょっとの間でございますが、御寝なりませんと、いけませんそうです」 夫人は黙して考えたるが、「いや、よそうよ」と謂える声は判然として聞こえたり。一同顔を見合わせぬ。 腰・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・ けれど、それは、ちょうど麻酔薬をかがされたときのように、体がだんだんしびれてきました。そして、もうすこしでもこうしていることができなくなったほど、眠くなってきましたので、ケーはついに我慢がしきれなくなって、そこのへいの辺に倒れたまま、・・・ 小川未明 「眠い町」
・・・ 和田達多くの者は、麻酔にかかったように、半信半疑になった。「ロシヤが、武器を供給したんだって? 黒龍江軍が抛って逃げた銃を見て見ろ。みんな三八式歩兵銃じゃないか!」「うむ、そうだな!」 が、噂は、やはり無遠慮にはげしくまき・・・ 黒島伝治 「チチハルまで」
・・・そういう場合にはきっと、その発明者が素人であるという事自身が、その発明が専門家の発明よりも立派なものであることを証明するかのごとき錯覚を起こさせるような麻酔剤が記事の行文の間に振りかけられている。また苦心の年月の長かったこと自身がその発明の・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・舌癌で舌の右だか左だかの半分を剪断するというので、麻酔をかけようとしたら、そんなものは要らないと云ってどうしても聞かない。それで麻酔なしでこの出血のはなはだしし手術を遂行したが、おしまいまでいっこうに平気で苦痛の顔色を示さなかった。その後数・・・ 寺田寅彦 「追憶の医師達」
・・・少なくとも鎖港排外の空気で二百年も麻酔したあげく突然西洋文化の刺戟に跳ね上ったぐらい強烈な影響は有史以来まだ受けていなかったと云うのが適当でしょう。日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。また曲折しなければならないほどの衝動を・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・そうした麻酔によるエクスタシイの夢の中で、私の旅行した国々のことについては、此所に詳しく述べる余裕がない。だがたいていの場合、私は蛙どもの群がってる沼沢地方や、極地に近く、ペンギン鳥のいる沿海地方などを彷徊した。それらの夢の景色の中では、す・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・聖書をもって派遣された魂の仲買人である僧侶たちに麻酔をかけられる教会・神を批判したソヴェト・プロレタリアートに「日曜日」は何を意味するであろう。要するに、七日目に一度廻ってくる休養日ではないか? では、例えばソヴェトじゅうの工場と役所とが日・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・と云う文字を駆使するのと同様の内面の空虚を文字の麻酔で紛して居ります。彼は、左様な質問を呈出したなら、きっと、其那事を質問する馬鹿があるか、何の為に修身を習って来た! と真赤になりますでしょう。 然し、C先生、此は決して冗談ではございま・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ここに麻酔薬を与えてよいか悪いかという疑いが生ずるのである。その薬は致死量でないにしても、薬を与えれば、多少死期を早くするかもしれない。それゆえやらずにおいて苦しませていなくてはならない。従来の道徳は苦しませておけと命じている。しかし医学社・・・ 森鴎外 「高瀬舟縁起」
出典:青空文庫