・・・晩年大河内子爵のお伴をして俗に柘植黙で通ってる千家の茶人と、同気相求める三人の変物揃いで東海道を膝栗毛の気散じな旅をした。天龍まで来ると川留で、半分落ちた橋の上で座禅をしたのが椿岳の最後の奇の吐きじまいであった。 臨終は明治二十二年九月・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・あたりを片付け鉄瓶に湯も沸らせ、火鉢も拭いてしまいたる女房おとま、片膝立てながら疎い歯の黄楊の櫛で邪見に頸足のそそけを掻き憮でている。両袖まくれてさすがに肉付の悪からぬ二の腕まで見ゆ。髪はこの手合にお定まりのようなお手製の櫛巻なれど、身だし・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・ その植木屋も新建ちの一軒家で、売り物のひょろ松やら樫やら黄楊やら八ツ手やらがその周囲にだらしなく植え付けられてあるが、その向こうには千駄谷の街道を持っている新開の屋敷町が参差として連なって、二階のガラス窓には朝日の光がきらきらと輝き渡・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・まず、忍び逢いの小座敷には、刎返した重い夜具へ背をよせかけるように、そして立膝した長襦袢の膝の上か、あるいはまた船底枕の横腹に懐中鏡を立掛けて、かかる場合に用意する黄楊の小櫛を取って先ず二、三度、枕のとがなる鬢の後毛を掻き上げた後は、捻るよ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・洗髪に黄楊の櫛をさした若い職人の女房が松の湯とか小町湯とか書いた銭湯の暖簾を掻分けて出た町の角には、でくでくした女学生の群が地方訛りの嘆賞の声を放って活動写真の広告隊を見送っている。 今になって、誰一人この辺鄙な小石川の高台にもかつては・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・訝りながら床をはなれて忍藻の母は身繕いし、手早く口を漱いて顔をあらい、黄楊の小櫛でしばらく髪をくしけずり、それから部屋の隅にかかッている竹筒の中から生蝋を取り出して火に焙り、しきりにそれを髪の毛に塗りながら。「忍藻いざ早う来よ。蝋鎔けた・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・栖方は黄楊の葉の隙から見える後のその室を指して、「あれは少将以上の食堂ですが、何か会議があるらしいですよ。」と説明した。大きな建物全体の中でその一室だけ煌煌と明るかった。爽やかな白いテーブルクロスの間を白い夏服の将官たちが入口から流れ込・・・ 横光利一 「微笑」
・・・初めて私がランプを見たのは、六つの時、雪の降る夜、紫色の縮緬のお高祖頭巾を冠った母につれられて、東京から伊賀の山中の柘植という田舎町へ帰ったときであった。そこは伯母の家で、竹筒を立てた先端に、ニッケル製の油壺を置いたランプが数台部屋の隅に並・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・また、藪の中の黄楊の木の胯に頬白の巣があって、幾つそこに縞の入った卵があるとか、合歓の花の咲く川端の窪んだ穴に、何寸ほどの鯰と鰻がいるとか、どこの桑の実には蟻がたかってどこの実よりも甘味いとか、どこの藪の幾本目の竹の節と、またそこから幾本目・・・ 横光利一 「洋灯」
出典:青空文庫