・・・もう十二三年も前に使っていたものだが、ひびきも入っていず、黒光りがして、重く如何にも木質が堅そうだった。油をしませたり、蝋を塗ったりしたものだ。今、店頭で売っているものとは木質からして異う。 しかし、重いだけ幼い藤二には廻し難かった。彼・・・ 黒島伝治 「二銭銅貨」
・・・つくづくと此の三字を見つめていると、とてもこれは堂々たる磨きに磨いて黒光りを発している鉄仮面のように思われて来た。鋼鉄の感じである。男性的だ。ひょっとしたら、鉄面皮というのは、男の美徳なのかも知れない。とにかく、この文字には、いやらしい感じ・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・心細く感じながらも、ひとりでそっと床から脱け出しまして、てらてら黒光りのする欅普請の長い廊下をこわごわお厠のほうへ、足の裏だけは、いやに冷や冷やして居りましたけれど、なにさま眠くって、まるで深い霧のなかをゆらりゆらり泳いでいるような気持ち、・・・ 太宰治 「葉」
・・・そうして黒光りのする台所の板間で、薄暗い石油ランプの燈下で一つ一つ皮を剥いでいる。そういう光景が一つの古い煤けた油画の画面のような形をとって四十余年後の記憶の中に浮上がって来るのである。自分の五歳の頃から五年ほどの間熊本鎮台に赴任したきり一・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・ 夜ふけて人通りのまばらになった表の通りには木枯らしが吹いていた。黒光りのする店先の上がり框に腰を掛けた五十歳の父は、猟虎の毛皮の襟のついたマントを着ていたようである。その頭の上には魚尾形のガスの炎が深呼吸をしていた。じょさいのない中老・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・台は黒光りに光っている。片隅には四角な膳を前に置いて爺さんが一人で酒を飲んでいる。肴は煮しめらしい。 爺さんは酒の加減でなかなか赤くなっている。その上顔中つやつやして皺と云うほどのものはどこにも見当らない。ただ白い髯をありたけ生やしてい・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ 柱でも、鴨居でも、何から何まで、骨細な建て工合で、ガッシリと、黒光りのする家々を見なれた目には、一吹きの大風にも曲って仕舞いそうに思われた。 小道具でも、何んでもが、小綺麗になって、置床には、縁日の露店でならべて居る様な土焼の布袋・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・台も茶色だの黒だののピアノがある間にはさまって立っていたそのピアノは父と一緒に店先で見たときはそれほどとも思わなかったのに、家へ運ばれて来て、天井の低い茶室づくりの六畳の座敷へ入れられたら、大きいし、黒光りで立派だし、二本の蝋燭たてにともっ・・・ 宮本百合子 「きのうときょう」
・・・久留米絣の元禄袖の着物に赤いモスリンの半幅帯を貝の口に結んだ跣足の娘の姿は、それなり上野から八時間ほど汽車にのせて北へ行った福島の田舎の祖母の黒光りのする台所へも現われた。 その村は明治に入ってから出来た新開の村で、子供の頃から私がよく・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・資本主義社会の被搾取階級が苦しんでいる苦しみから、具体的に経済的に解放してくれるものは、線香の煙で黒光りになった一個の仏像ではありません。減俸はお釈迦の考え出したことではありません。従ってお釈迦の力で減俸案をどうも出来なかった事実は、現実に・・・ 宮本百合子 「反宗教運動とは?」
出典:青空文庫