くろだきよたか【黒田清隆】
[1840〜1900]政治家。鹿児島の生まれ。戊辰 (ぼしん) 戦争で官軍参謀として五稜郭 (ごりょうかく) を攻撃。明治維新後、北海道開拓長官。日朝修好条規を締結。明治21年(1888)首相に就任、大日本帝国憲法の発布に当たったが、条約改正交渉失敗のため辞職。
くろだきよつな【黒田清綱】
[1830〜1917]政治家・歌人。鹿児島の生まれ。清輝 (せいき) の養父。幕末の王政復古運動に奔走。和歌に秀で、明治・大正天皇の和歌の師。貴族院議員・枢密顧問官。著「滝園歌集」。
くろださぶろう【黒田三郎】
[1919〜1980]詩人。広島の生まれ。第二次「荒地」の創刊に参加。鋭い批評精神を平明に表現した詩や評論を発表。詩集「ひとりの女に」など。
出典:gooニュース
J1町田・黒田監督「指導の悩みは常にある」 育成年代の監督たち約80人を前に講演
J1町田の黒田剛監督(54)が17日、東京・町田市内で行われた指導者懇親会、講習会に登壇した。町田市のサッカー協会が主催したものでサッカーによる街の活性化、育成年代の連携強化を図ることを目的として同協会登録チームから約80人の指導者が集まった。約1時間にわたり、小学生チームを教える指導者たちに講演。
町田・黒田監督 シーズン中に異例開催 地域の指導者約80人と懇親会「この街で育つ子どもたちの力になりたい思いが根底にある」
講演では事前に募集していた質問に黒田監督が回答。「小学生年代のうちにこれだけは身につけてほしいこと」「親御さんとのトラブルに関する対処法」など、指導者の切実な悩みに対し、30年以上にわたる自らの指導経験や、元日本代表の柴崎岳(鹿島)らかつての教え子のエピソードを交えながら丁寧に答えていた。
西武・黒田将矢「悔しく歯がゆい1年」、村田怜音「やるべきこと一切手を抜かずやり切った」若獅子4選手が契約更改
悔しい1年となった黒田、中継ぎ転向した山田は手ごたえも 3年目の黒田は20万円ダウンの年俸630万円でサイン。昨季は三軍戦で自己最速の157キロをマークした大器は今季中の一軍デビューも期待されたが、二軍で8試合(先発は3試合)に登板し、0勝2敗、防御率3.94と不完全燃焼に終わった。
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出典:青空文庫
・・・最初の北海道の長官の黒田という人は、そこに行くと何といっても面白・・・ 有島武郎「北海道に就いての印象」
・・・洋画界の羅馬法王たる黒田清輝や好事の聞え高い前の暹羅公使の松方正・・・ 内田魯庵「淡島椿岳」
・・・日経つと大津定二郎は黒田の娘と結婚の約が成ったという噂が立った。・・・ 国木田独歩「富岡先生」