・・・いつわりなき申告 黙然たる被告は、突如立ちあがって言った。「私は、よく、ものごとを識っています。もっと識ろうと思っています。私は卒直であります。卒直に述べようと思っています。」 裁判長、傍聴人、弁護士たちでさえ、すこ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・婆さんは黙然として余の背後に佇立している。 三階に上る。部屋の隅を見ると冷やかにカーライルの寝台が横わっている。青き戸帳が物静かに垂れて空しき臥床の裡は寂然として薄暗い。木は何の木か知らぬが細工はただ無器用で素朴であるというほかに何らの・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・と碌さんは答えたぎり黙然としている。隣りの部屋で何だか二人しきりに話をしている。「そこで、その、相手が竹刀を落したんだあね。すると、その、ちょいと、小手を取ったんだあね」「ふうん。とうとう小手を取られたのかい」「とうとう小手を取・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・文鳥はこの華奢な一本の細い足に総身を託して黙然として、籠の中に片づいている。 自分は不思議に思った。文鳥について万事を説明した三重吉もこの事だけは抜いたと見える。自分が炭取に炭を入れて帰った時、文鳥の足はまだ一本であった。しばらく寒い縁・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・ 自分は黙然としてわが室に帰った。そうして胡瓜の音で他を焦らして死んだ男と、革砥の音を羨ましがらせて快くなった人との相違を心の中で思い比べた。 夏目漱石 「変な音」
・・・爾薩待(農民等 黙然農民二「いま、もぐり歯医者でも懲役になるもの、人欺して、こったなごとしてそれで通るづ筈なぃがべじゃ。」爾薩待農民二「六人さ、まるっきり同じごと言って偽こいで、そしてで威張って、診察料よ・・・ 宮沢賢治 「植物医師」
・・・が、誰も彼も黙然として野菜を見下し、その声をきいているのであった。 少し行くと、魚やが出ていた。この辺に、こんなどっさり品数を並べた魚やは、珍しい。好奇心に誘われて、人垣の間から首をのぞけてみたらば、鮪百匁五十五円と書いた札が先ず目につ・・・ 宮本百合子 「人民戦線への一歩」
・・・ 訳が分らないで怒鳴りつけられたり擲たれたりして、恐ろしそうに竦んでいる子供達の肩を撫でてやりながら、禰宜様宮田は、黙然としてその罵詈讒謗を浴びていた。 それから毎日毎日こういう厭なことばかりが続いた。 お石は、何かにつけて金を・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・星を数えつつ井戸に落ちた人、骨と皮とになるまで黙然として考えた人は史上の立て物ではない。しかしながら過去数千年の人類の経路は一日としてこの問題から離るるを許さなかった。西行はために健脚となり信長は武骨な舞いを舞った。神農もソクラテスもカント・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫