・・・性の知れぬ者がこの闇の世からちょっと顔を出しはせまいかという掛念が猛烈に神経を鼓舞するのみである。今出るか、今出るかと考えている。髪の毛の間へ五本の指を差し込んでむちゃくちゃに掻いて見る。一週間ほど湯に入って頭を洗わんので指の股が油でニチャ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・この模範通りにならなければならん、完全の域に進まなければならんと云う内部の刺激やら外部の鞭撻があるから、模倣という意味は離れますまいが、その代り生活全体としては、向上の精神に富んだ気概の強い邁往の勇を鼓舞されるような一種感激性の活計を営むよ・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・がもう一学期半辛抱すれば、華やかな東京に出られるのだからと強いて独り慰め、鼓舞していた。 十月の末であった。 もう、水の中に入らねばしのげないという日盛りの暑さでもないのに、夕方までグラウンドで練習していた野球部の連中が、泥と汗とを・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・人の義気・礼譲を鼓舞せんとするには、己れ自からこれに先だたざるべからず。ゆえに私塾の教師は必ず行状よきものなり。もし然らずして教師みずから放蕩無頼を事とすることあらば、塾風たちまち破壊し、世間の軽侮をとること必せり。その責大にして、その罰重・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・各新聞の古風な商売仇的競争も、商品としての新聞の売行きのために激しく鼓舞され、記者たち一人一人の地位は、木鐸としての誇りある執筆者の立場から、大企業のサラリーマンに移って行った。記者その人々の存在は、社名入りの名刺とその旗を立てて走る自動車・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
・・・という悲しい諦めの心、或は、当時青野季吉によって鼓舞的に云われていた一つの理論「こんにちプロレタリア作家は、プロレタリア文学の根づよさに安んじて闊達自在の活動をする自信をもつべきである」という考えかたなどについて、作者は、ひとつ、ひとつ、そ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・ 作品にその二つが調和して現れた場合、ひとは、ムシャ氏の頼もしさとは又違う種類の共鳴、鼓舞、人生のよりよき半面への渇仰を抱かせられたのだ。 彼は、学識と伝統的なセルフレストレーンの力で、先ずハートに感じるものを、頭の力で整理したと云・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
・・・ことによって得た経験が、亀のチャーリーの心持をプロレタリアとして、またアメリカ帝国主義の下で有色人種労働者として二重の搾取と抑圧とに闘っている日本人移民労働者としてのチャーリーの心持をどのくらい高め、鼓舞し、生きてゆく日常の世界観を変革した・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・あの晩、熱にうかされ、半分うわごとのようにドミトリーの名を呼んでいる彼女のわきに坐って、やさしく鼓舞してくれたのは、組織の古い働きてのソモフだった。「――ミーチャ……ミーチャ。どうしてそうミーチャがいるのかね。お前、人間じゃないのかい。・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・文学研究員は大衆を、壁新聞と工場新聞に向って動員し、生産経済計画達成に大衆の自発性を鼓舞する文学的実践を自身の文学的勉強とすべきだということになったのだ。 これは、完く正しい。そして「鎌と鎚」工場の文学研究会がこの集会で再組織をしよ・・・ 宮本百合子 「「鎌と鎚」工場の文学研究会」
出典:青空文庫