・・・彼は、叱るように云った。「俺ら、なにも、嘘を話してるんじゃねえんだ。有る通りを云ってるんだ。」 大西は、××にかまわなかった。 本隊を離れてしまった彼等には、×の区別も×の区別もなかった。恐れる必要もなかった。××と雖も、××の・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・ 今度は自分の不覚を自分で叱る意で毒喝したのである。余程肚の中がむしゃくしゃして居て、悪気が噴出したがっていたのであろう。 叱咤したとて雪は脱れはしない、益々固くなって歯の間に居しこるばかりだった。そこで、ふと見ると小溝の上に小さな・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ とおさだを叱るように言って、復た直次は隣近所にまで響けるような高い声で笑った。 夕方に、熊吉が用達から帰って来るまで、おげんは心の昂奮を沈めようとして、縁先から空の見える柱のところへ行って立ったり、庭の隅にある暗い山茶花の下を歩い・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・大隅君は、酒を飲みながら、叱るような口調で私に言うのである。「お料理だって、こんなにたくさん出来るじゃないか。君たちはめぐまれ過ぎているんだ。」 大隅君が北京から、やって来るというので、家の者が、四、五日前から、野菜やさかなを少しずつ買・・・ 太宰治 「佳日」
・・・彼はその書留を受けとったとき、やはり父の底意地のわるさを憎んだ。叱るなら叱るでいい、太腹らしく黙って送って寄こしたのが気にくわなかった。十二月のおわり、「鶴」は菊半裁判、百余頁の美しい本となって彼の机上に高く積まれた。表紙には鷲に似た鳥がと・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・私が喉が乾いて萎れかけた時には、ただ、うろうろして、奥さんをひどく叱るばかりで何も出来ないの。あげくの果には、私の大事な新芽を、気が狂ったみたいに、ちょんちょん摘み切ってしまって、うむ、これでどうやら、なんて真顔で言って澄ましているのよ。私・・・ 太宰治 「失敗園」
・・・それに土間で小児の泣く声と、立ち歩くのを叱る出方の尖り声とが耳障りになる。中幕の河庄では、芝三松の小春、雷蔵の治兵衛、高麗三郎の孫右衛門、栄升の太兵衛に蝶昇の善六。二番目は「河内山」で蝶昇が勤めた。雷蔵の松江侯と三千歳、高麗三郎の直侍などで・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・しかし叱りっ放しの先生がもし世の中にあるとすれば、その先生は無論授業をする資格のない人です。叱る代りには骨を折って教えてくれるにきまっています。叱る権利をもつ先生はすなわち教える義務をももっているはずなのですから。先生は規律をただすため、秩・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・』『此所にも軍人はいくらも居るよ』 窓の近くに居た兵士の一人が、大きな声で叱る様に斯うお云いでしたの。私可怖かったわ、あの呪う様な眼で、凝乎と其兵士をお睨みでした顔と云ったら。『決して後の事心配しなさるでねえよ。私何様思いをして・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・今その最も普通なる実例の一、二を示さんに、子供が誤って溝中に落込み着物を汚すことあれば、厳しくその子を叱ることあり。もしまた誤って柱に行き当り額に瘤を出して泣き出すことあれば、これを叱らずしてかえって過ちを柱に帰し、柱を打ち叩きて子供を慰む・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
出典:青空文庫