・・・しかも木樵りの爺さんは顔中に涙を流したまま、平あやまりにあやまっているではありませんか!「これは一体どうしたのです? 何もこういう年よりを、擲らないでも善いじゃありませんか!――」 書生は彼女の手を抑え、熱心にたしなめにかかりました・・・ 芥川竜之介 「女仙」
・・・「松村です、松村は確かだけれど、あやふやな男ですがね、弱りました、弱ったとも弱りましたよ。いや、何とも。」 上脊があるから、下にしゃがんだ男を、覗くように傾いて、「どうなさいました、まあ。」「何の事はありません。」 鉄枴・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・またまたあやしむこと限りなし。ふたたび貝石うる家の前に出で、価を問うにいと高ければ、いまいましさのあまり、この蛤一升天保くらいならば一石も買うべけれと云えば、亭主それは食わむとにやと問う。元よりなりと答う。煮るかと云うに、いや生こそ殊にうま・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・『一代女』の終りに近く、ヒロインの一代の薄暮、多分雨のそぼ降る折柄でもあったろう「おもひ出して観念の窓より覗けば、蓮の葉笠を着たるやうなる子供の面影、腰より下は血に染みて、九十五、六程も立ならび、声のあやぎれもなくおはりよ/\と泣きぬ、云々・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・「早くかけとしまいよ、ばあや、そら、そこがあいてるわよ、かけちゃいさえすればいいから……よ」 プラットフォームに立って送りに来た二十七の町方の女が頻りに世話を焼いた。「ああここにしようね――御免なさい」 前の座席には小官吏ら・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・その右のはずれの一軒が、おゆきばあやの住居だった。 小さい根下りの丸髷に結って、帯をいつもひっかけにしめているおゆきは、その家で縫物をしていた。おゆきが針箱やたち板を出しかけている部屋のそとに濡れ縁があって、ちょいとした空地に盆栽棚がつ・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・世のなかの複雑な動きのあやから眼をはなさず、そのあやに織り込まれている自分の一生の意味を理解するところにいいつくせない面白さをも見出して生きて行こうとはせず、動的な現象事象から離れたどこかに、いわゆる久遠の幸福を感じようとする。だから、幸福・・・ 宮本百合子 「幸福の感覚」
・・・する人物にさえ時代の空気が流れ入っていることは、一つの例に過ぎず、当時は通俗小説の中にさえも新しさの象徴として時代的な青年男女の動き、心持ち、理論などと云うものがさまざまに歪曲されながら装飾として或はあやとして取り入れられたのであった。・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 所謂文学的な言葉のあやにかかずらう必要もないと思います。 母への報告 中島敏子 稚いけれども、母亡いのち一家のために役立とうとして暮している娘さんのひとすじの生活が語られています。 こんな気取りのない調子で、いろいろ複雑・・・ 宮本百合子 「新女性のルポルタージュより」
・・・けれども、わたしへのそのふれかたの中には、わたしが迷惑し、聴衆や読者の判断があやまられるばかりでなく、もっと複雑な誤解や事実とちがう憶測を刺戟する要素がふくまれている。それらの点をはっきりさせたいと思う。 平野氏の話のきっかけは、『新日・・・ 宮本百合子 「孫悟空の雲」
出典:青空文庫