・・・自分は急にいじらしい気がした。同時にまた無気味な心もちもした。Sさんは子供の枕もとに黙然と敷島を啣えていた。それが自分の顔を見ると、「ちとお話したいことがありますから」と云った。自分はSさんを二階に招じ、火のない火鉢をさし挟んで坐った。「生・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・が、それは、文字通り時々で、どちらかと云えば、明日の暮しを考える屈託と、そう云う屈託を抑圧しようとする、あてどのない不愉快な感情とに心を奪われて、いじらしい鼠の姿も眼にはいらない事が多い。 その上、この頃は、年の加減と、体の具合が悪いの・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・が、僕の目にはいじらしいくらい、妙にてれ切った顔をしていました。「煙草ものまなければ酒ものまないなんて、……つまり兄貴へ当てつけているんだね。」 K君も咄嗟につけ加えました。僕は善い加減な返事をしながら、だんだんこの散歩を苦にし出し・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・しかし今その子供の乞食が頸を少し反らせたまま、目を輝かせているのを見ると、ちょいといじらしい心もちがした。ただしこの「ちょいと」と云うのは懸け値のないちょいとである。保吉はいじらしいと思うよりも、むしろそう云う乞食の姿にレムブラント風の効果・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・道すがら、既に路傍の松山を二処ばかり探したが、浪路がいじらしいほど気を揉むばかりで、茸も松露も、似た形さえなかったので、獲ものを人に問うもおかしいが、且は所在なさに、連をさし置いて、いきなり声を掛けたのであったが。「いいえ、実盛塚へは―・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ああ、叶屋の二階で田之助を呼んだ時、その男衆にやった一包の祝儀があったら、あのいじらしい娘に褄の揃ったのが着せられましょうものなぞと、愚痴も出ます。唯今の姿を罰だと思って罪滅しに懺悔ばなしもいいまする。私もこう申してはお恥かしゅうございます・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・しかし、年寄り夫婦はそれを見ても、いじらしいとも、哀れとも、思わなかったのであります。 月の明るい晩のことであります。娘は、独り波の音を聞きながら、身の行く末を思うて悲しんでいました。波の音を聞いていると、なんとなく、遠くの方で、自分を・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・しかし年より夫婦はそれを見ても、いじらしいとも哀れとも思わなかったのであります。 月の明るい晩のことであります。娘は、独り波の音を聞きながら、身の行末を思うて悲しんでいました。波の音を聞いていると、何となく遠くの方で、自分を呼んでいるも・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・ ちょうは、このいじらしい有り様を見て、驚いて飛び去りました。二、三日してから、ちょうは花の身の上を気遣ってきてみました。しかし、もうそのときは、小さな花は枯れていました。――一九二三・六作――・・・ 小川未明 「くもと草」
・・・なんという、いじらしいことかと、彼女は少女心にも深く感じたのでありました。 月日は、足音をたてずにすぎてゆきました。 くりの木のこずえで、海の方を見ながら、歌をうたっていた枯れ葉も、いつか地に落ちて朽ちてしまえば、村を出たおかよは、・・・ 小川未明 「谷にうたう女」
出典:青空文庫