・・・そうしてカメラの対物鏡は観客の目の代理者となって自由自在に空間中を移動し、任意な距離から任意な視角で、なおその上に任意な視野の広さの制限を加えて対象を観察しこれを再現する。従って観客はもはや傍観者ではなくてみずからその場面の中に侵入し没入し・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・蝗は何を目的として何物に導かれてどこからどこへ移動するか。世界は自分らのためにのみできているとばかり思っているわれわれ愚かな人間は茫然としてテントの小窓からこの恐ろしい生命のあらしをながめてため息をつくであろう。 湖畔のフラミンゴーの大・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 一つには、小説と映画では相手にする大衆の素質、顧客の層序において若干の異同のあることも事実であろう。しかしそれよりも大切なことは、映画の写し出す視覚的影像の喚起する実感の強度が、文字の描き出す心像のそれに比較して著しく強いという事実が・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・それでもし虻が花の蕊の上にしがみついてそのままに落下すると、虫のために全体の重心がいくらか移動しその結果はいくらかでも上記の反転作用を減ずるようになるであろうと想像される。すなわち虻を伏せやすくなるのである。こんなことは右の句の鑑賞にはたい・・・ 寺田寅彦 「思い出草」
・・・ウェーゲナーの「大陸移動論」は下手の小説よりは、たしかに芸術的である。そうしてまた、ある特別な科学国の「国語」の読める人にとっては、アインシュタインの相対性原理の論文でも、ブロイーの波動力学の論文でも、それを読んで一種無上の美しさを感じる人・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・しかしグリムの方則のような簡単明瞭なものは大陸で民族の大集団が移動し接触する時には行なわれるとしても、日本のような特殊な地理的関係にある土地で、小さな集団が、いろいろの方面から、幾度となく入り込んだかもしれない所では、この方則はあるにはあっ・・・ 寺田寅彦 「火山の名について」
・・・ これに聯関して思い合わされることは、人の容貌の肖似ということについての人々の考えの異同である。例えば、甲某の眼にはA某とB某とが、よく似ているように見える。 ところが、乙某に云わせると、ちっとも似ていないじゃないかと云う。これは甲・・・ 寺田寅彦 「観点と距離」
・・・さらにおもしろいことは、その特別な週期が各人の身体の構造の異同で少しずつちがい、それが結局は各個人の、腰掛けた位置に相当する固有振動週期を示すものらしいということである。 このおもしろい研究の結果を聞かされたときに、ふと妙な空想が天の一・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・バンベルヒの天頂儀をすえ付けて天頂近く子午線を通過する星を観測してこの地点の緯度をできるだけ精密に測定しておく、そうして他日また同じ観測を繰り返して、この地点が火山活動の影響のためにいくらかでも移動するかどうかを験出しようというのである。・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・人により、時によりこれの見え方に異同のあるのも事実らしい。 これは眼底網膜の一部が偏光で照らされた時に生じる主観的生理的現象である。「幽霊」などと似たところもあるが、それよりはもう少し普遍的な存在である。 これとは全く縁のないことで・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
出典:青空文庫