・・・ 日本には、哲学として独立し体系づけられて在る思想は少い。いろはがるたや、川柳や、論語などに現わされている日常倫理の戒津だけでは、どうも生き難い。学術の権威のためにも、マルキシズムにかわる新しい認識論を提示しなければなるまい。ごまかして・・・ 太宰治 「多頭蛇哲学」
・・・緑いろである。まっくらでも眠れず、明るければ、もちろん眠れず、私は緑いろの風呂敷でもって、電燈を覆っているのである。緑いろは、睡眠のために、いいようである。この風呂敷は、路で拾ったものである。私は、八端の黒い風呂敷を持って、まちへ牛肉を買い・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・「書くものがない。いろは四十七文字を書く。なんどもなんども、繰りかえし繰りかえし書く。書きながら女に言う。いそぎの仕事を思い出した。忘れぬうちに片づけてしまいたいから、あなたは、その間に、まちを見物していらっしゃい。しずかな、いいまちで・・・ 太宰治 「雌に就いて」
・・・なお彼は、文政十年、十六歳の春より人に代筆せしめ稽古日記を物し始めたが、天保八年、二十六歳になってからは、平仮名いろは四十八文字、ほかに数字一より十まで、日、月、同、御、候の常用漢字、変体仮名、濁点、句読点など三十個ばかり、合わせても百字に・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・私の乳母は母上と相談して、当らず触らず、出入りの魚屋「いろは」から犬を貰って飼い、猶時々は油揚をば、崖の熊笹の中へ捨てて置いた。 父親は例の如くに毎朝早く、日に増す寒さをも厭わず、裏庭の古井戸に出て、大弓を引いて居られたが、もう二度と狐・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ 洋学の順序第一、かの国のエビシ二十六字 我が邦のいろはの如し。第二、読本 もっとも易き文章にて諸学の手引、初歩ともなるべき事を説き、あるいは『モラルカラッスブック』などとて、脩心学の入門を記した・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・科業は、いろは五十韻より用文章等の手習、九々の数、加減乗除、比例等の算術にいたり、句読は、府県名・国尽・翻訳の地理・窮理書・経済書の初歩等を授け、あるいは訳書の不足する所はしばらく漢書をもって補い、習字・算術・句読・暗誦、おのおの等を分ち、・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・社中に入り、先ず西洋のいろはを覚え、理学初歩か、または文法書を読む。この間、三ヶ月を費す。三ヶ月終りて、地理書または窮理書一冊を読む。この間、六ヶ月を費す。六ヶ月終りて、歴史一冊を読む。この間、また、六ヶ月を費す。・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・ また、片仮名にもせよ、平仮名にもせよ、いろは四十七文字を知れば、これを組合せて日用の便を達するのみならず、いろはの順序は一二三の順序の代りに用い、またはこれに交え用うること多し。たとえば、大工が普請するとき、柱の順番を附くるに、梁間の・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・但し実際は本基にて打者の打ちたる球の達する処すなわち限界となる。いろはには正方形にして十五間四方なり。勝負は小勝負九度を重ねて完結する者にして小勝負一度とは甲組が防禦の地に立つ事と乙組が防禦の地に立つ事との二度の半勝負に分るるなり。防禦の地・・・ 正岡子規 「ベースボール」
出典:青空文庫