・・・ 幼い時聞いて、前後うろ覚えですが、私の故郷の昔話に、(椿農家のひとり子で、生れて口をきくと、と唖の一声ではないけれども、いくら叱っても治らない。弓が上手で、のちにお城に、もののけがあって、国の守が可恐い変化に悩まされた時、自から進んで・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・年も月もうろ覚え。その癖、嫁入をおしの時はちゃんと知ってるけれど、はじめて逢い出した時は覚えちゃあいないが、何でも摩耶さんとはその年から知合ったんだとそう思う。 私はね、母様がお亡くなんなすったって、それを承知は出来ないんだ。 そり・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・、あるその宴会の席で、その席に居た芸妓が、木曾の鶫の話をしたんです――大分酒が乱れて来て、何とか節というのが、あっちこっちではじまると、木曾節というのがこの時顕われて、――きいても可懐しい土地だから、うろ覚えに覚えているが、何とかっていうの・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・八百屋の小僧が、いま若旦那から聞いて来たばかりの、うろ覚えの新知識を、お得意さきのお鍋どんに、鹿爪らしく腕組して、こんこんと説き聞かせているふうの情景が、眼前に浮んで来たからである。けれども、とまた、考える。その情景、なかなかいいじゃないか・・・ 太宰治 「思案の敗北」
・・・の文章を、うろ覚えのままに、東京のみんなに教えて、中村地平君はじめ、井伏さんのお耳まで汚し、一門、たいへん御心配にて、太宰のその一文にて、もしや、佐藤先生お困りのことあるまいかと、みなみな打ち寄りて相談、とにかく太宰を呼べ、と話まとまって散・・・ 太宰治 「創生記」
・・・いや、先生はね、お前たちも知っているように、唱歌はあまり得意でないのでね、その歌も、うろ覚えでね、おかげで、やっといまはっきりと思い出した。悲しい歌だね。ちかごろお前たちは、よくその唱歌ばかり歌っているようだが、誰か先生が教えてくれたの?・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・私はおたえちゃんと呼んで見たりうろ覚えに「雛勇はん」と呼んであとで笑ったりして居た。「お百合ちゃん」私はいつでも斯う京都に行ってからは呼ばれて居た。お妙ちゃんの家は私達の居た家から三軒ほど北にあった、格子で高いポックリの鈴のついたのが一っぱ・・・ 宮本百合子 「ひな勇はん」
出典:青空文庫