・・・二十歳の時は一人前の家具師で、その仕事場が祖父の家とならんでいる。 ある日、祖母さんのアクリーナが娘のワルワーラと庭へ出て木苺をあつめていると、やすやすと隣から塀をのり越えてたくましい立派なマクシムが、髪を皮紐でしばった仕事姿のまま庭へ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・ 昼間は、多勢の人々の動作につれて、いつもみだされて居た家具調度の輪廓が、妙にくっきりとうき上って、しんと澱んだ深夜の空気の中に、かっきりとはめ込んだようにさえ見える。が、その静粛な明確さは決して魂のないものではない。 人々が寝室に・・・ 宮本百合子 「無題(三)」
・・・ デパアトメント・ストアだ。家具大売出し! 十八ヵ月月賦!「キリストは生きている!」教会だ。「質」「古着」 高い建物と建物との隙間に引込んで煤けきった大鉄骨が見えた。黒い、日のささぬ鉄骨の間に白いものを着た子供が・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・ 目の前にあるあらゆる顔、あらゆる家具は、彼女にとって皆馴染み深い、懐しいものばかりである。 丁度今頃、矢張り斯うやって同じディブァンの上に坐り乍ら、何度、斯様な賑やかな睦しい同胞共の様子を眺めて来ただろう。 けれども、今自分の・・・ 宮本百合子 「われらの家」
・・・途中まで聞いていた誰やらの演説が、ただ雑音のように耳に聞えて、この島田に掛けた緋鹿子を見る視官と、この髪や肌から発散するを嗅ぐ嗅覚とに、暫くの間自分の心が全く奪われていたのである。この一刹那には大野も慥かに官能の奴隷であった。大野はその時の・・・ 森鴎外 「独身」
・・・自然学の趣味もあるという事が分かる。家具は、部屋の隅に煖炉が一つ据えてあって、その側に寝台があるばかりである。「心持の好さそうな住まいだね。」「ええ。」「冬になってからは、誰が煮炊をするのだね。」「わたしが自分で遣ります。」・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・そこで廊下から西洋風の戸口を通って書斎へはいると、そこは板の間で、もとは西洋風の家具が置いてあったのかもしれぬが、漱石は椅子とか卓子とか書き物机とかのような西洋家具を置かず、中央よりやや西寄りのところに絨毯を敷いて、そこに小さい紫檀の机を据・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
・・・ 私は彼らを愛した自分から腐敗の臭気を嗅ぐように思った。そこには生の真面目は枯れかかり、核心に迫る情熱は冷えかかっていた。生の冒険のごとく見えたのは、遊蕩者の気ままな無責任な移り気に過ぎなかった。生の意義への焦燥と見えたのは、虚名と喝采・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫