・・・篤と勘考す可き所のものなり。故に我輩は婦人の外出を妨げて之を止むるに非ず、寧ろ之を勧めて其活溌ならんことを願う者なれども、子供養育の天職を忘れて浮かれ浮かるゝが如きは決して之を許さず。此点に就ては西洋流の交際法にも感服せざるもの甚だ多し。又・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ されば今、これを公にして官公の学校に用うるにあたり、書中所記の主義いかんに論なく、大いに天下の尊信を博すべきや否やの一段にいたりては、諭吉の保証すること能わざるところのものなり。倫理道徳の書にして尊信の一大要義を欠くときは、たとえこれ・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・ 大戦直後に刊行された「もう一つのドイツ」も弟クラウスとの共著であるが、ここには、ナチス・ドイツ以外のもう一つのドイツのあることを訴えたものであった。ドイツの国民性を解剖し、ワイマール共和国の功罪を論じ、一知識人の日記の形でナチス運動の・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・また、観光用国土、人民としての国際性から区別されなければならない。 これまで日本の市民生活に正常な国際性はかけていた。日本人民は世界を意識した明治のはじめに、もう世界を、競争の相手、負けてはならない国として教えこまれた。ひきつづいて超国・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・そういう気質らしい清潔さ、寛厚さ、こころの視角の高さも感じられるのである。 光琳が大成したという宗達の装飾的な一面は、その方向の極致なのだろうが、或るものは何となし工芸化して感じられる。そしてそういう美の世界では、宗達が嘗つて人間を自在・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・ 現実をこのように見ている眼をうつして、講和条約にそなえる日本として装われ、観光日本としてポーズされている日本を見たとき、わたしたちがそこに発見するのはなんだろう。シルク・ショウにあらわれている振袖姿の日本娘であり、文化交換として生花、・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
それを見たことで その人の人生に何かが加わり 或は何かが変る丈の力がなくては 観光の対象として極めて薄弱だ。「戦災のあとも見て貰って 十分満足させて」云々。これは心ある日本人をして 何となくばつの悪い思いをさせた。日本・・・ 宮本百合子 「観光について」
・・・ 魯迅は一九三五年ごろに、中国の新しい文化の発展のために多大の貢献をした一つの仕事として、ケーテ・コルヴィッツの作品集を刊行した。その中国版のケーテの作品集には、ケーテの国際的な女友達の一人であるアグネス・スメドレイの序文がつけられた。・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
「現代日本小説大系」が刊行される意味は、ただ日本の近代文学をもう一遍よみかえし、検討し、将来の文学に寄与するという風な、すべてのこれまでの刊行会の挨拶の範囲では、使命が果されないと思う。これはまじめに日本の社会の推移を基礎に・・・ 宮本百合子 「「現代日本小説大系」刊行委員会への希望」
・・・今日そこを走るのは、労働者・農民の陽気な観光客を満載した遊覧乗合自動車だ。が、道普請は、昔そのためにされたのではない。軍用だった。帝政ロシアの権力が武力で、絹、皮革の産地チフリース、石油のバクー市を掌握するための近路として拵えたものなのだ。・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
出典:青空文庫