・・・とうとうあまり釣れるために晩くなって終いまして、昨日と同じような暮方になりました。それで、もう釣もお終いにしようなあというので、蛇口から糸を外して、そうしてそれを蔵って、竿は苫裏に上げました。だんだんと帰って来るというと、また江戸の方に燈が・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・死は休なりとか、死は静なりとか、死は動力の不存在なりとか、死は自営的機能の力が滅して他の勢力のみ働らく場合なりとか、色々の理屈をつける奴もあるが、第一困る事には死という事は世界にひとつもない。君だッて死にはしない。僕だッて死にはしない。関羽・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・ こんなことを三吉が言出すと、お新は思わずその話に釣り込まれたという風で、「ほんとに、昨日のようにびっくりしたことはない。お母さんがあんな危ないことをするんだもの。炭俵に火なぞをつけて、あんな垣根の方へ投ってやるんだもの。わたしは、・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ウイリイは、その朝早く起きて窓の外を見ますと、家の戸口のまん前に、昨日までそんなものは何にもなかったのに、いつのまにか、きれいな小さな家が出来ていました。ふた親もおどろいて出て見ました。上から下まできれいな彫り飾りがついたりしていて、ウイリ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・の印税を昨日、本屋からもらいましたので。なおまた、詩人の加納さんとは、未だ一度もお逢いした事はありませんが、あなたから、機会がございましたら、木戸がよろこんでいたとおっしゃって下さい。加納さんは、私と同郷の、千葉の人なのです。頓首。 ・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ 「病気で、昨日まで大石橋の病院にいたものですから」 「病気がもう治ったのか」 無意味にうなずいた。 「病気でつらいだろうが、おりてくれ。急いで行かんけりゃならんのだから。遼陽が始まったでナ」 「遼陽!」 この一語は・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・「なんだい」とおれは問うた。「昨日侯爵のお落しになった襟でございます。」こいつまでおれの事を侯爵だと云っている。 おれはいい加減に口をもぐつかせて謝した。「町の掃除人が持って参ったのでございます。その男の妻が拾ったそうでござ・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・ところが近代になって電子などというものが発見され、あらゆる電磁気や光熱の現象はこの不思議な物の作用に帰納されるようになった。そしてこの物が特別な条件の下に驚くべき快速度で運動する事も分って来た。こういう物の運動に関係した問題に触れ初めると同・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ところがその翌日は両方の大腿の筋肉が痛んで階段の上下が困難であった。昨日鬼押出の岩堆に登った時に出来た疲労素の中毒であろう。これでは十日計画の浅間登山プランも更に考慮を要する訳である。 宿の夜明け方に時鳥を聞いた。紛れもないほととぎすで・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・これはたしかにひなと親鳥とではその生理的機能にそれだけの差があることを意味するのではないかと思われる。 鴨羽の雌雄夫婦はおしどり式にいつも互いに一メートル以内ぐらいの間隔を保って遊弋している。一方ではまた白の母鳥と十羽のひなとが別の一群・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
出典:青空文庫