・・・ 大興駅附近の丘陵や、塹壕には砲弾に見舞われた支那兵が、無数に野獣に喰い荒された肉塊のように散乱していた。和田たちの中隊は、そこを占領した。支那兵は生前、金にも食物にも被服にもめぐまれなかった有様を、栄養不良の皮膚と、ちぎれた、ボロボロ・・・ 黒島伝治 「チチハルまで」
・・・黒龍江は氷の丘陵をきずいていた。 橇は、向うの林の方へ、二三枚の木葉舟のように小さく、遠くなって行った。列車の顛覆と同時に、弾丸の餌食になった兵士が運ばれて行ったのだ。 観音経をやりながら、ちょい/\頓狂に笑う伍長をのけると、みんな・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・腕のいゝ旋盤工だから、んでなかったら、どんどん日給もあがって、えゝ給料取りになっていたんだ。」――それは他の人もそッと持っていた気持だったので、室の中が急に、今迄とは変ったものになった。――「そればかりで無いんだ。この前警察から出てくると、・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・「ただ私の馬のかいばさえいただきませば、給料なぞは下さらなくともたくさんです。」と言いました。そして馬丁にやとってもらいました。 ウイリイはうまや頭からおそわって、ていねいに王さまのお馬の世話をしました。じぶんの馬も大事にしました。・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・お前の給料は、どこから出てるんだ。考えても見ろ。あたしたちの稼ぎの大半は、おかみに差し上げているんだ。おかみはその金をお前たちにやって、こうして料理屋で飲ませているんだ。馬鹿にするな。女だもの、子供だって出来るさ。いま乳呑児をかかえている女・・・ 太宰治 「貨幣」
・・・会社は病気ではなく私傷による事故だからといって、十一月は給料をくれませんでした。また会社の人達は、ぼくをまるで無頼漢扱いにして皮肉をいう。まア止めましょう。いっそ、桜の花の刺青をしようかと思って居ります。私は子供じゃないんだ。所で、あなたに・・・ 太宰治 「虚構の春」
一 本州の北端の山脈は、ぼんじゅ山脈というのである。せいぜい三四百米ほどの丘陵が起伏しているのであるから、ふつうの地図には載っていない。むかし、このへん一帯はひろびろした海であったそうで、義経が家来たちを連・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・それでは僕と此の校長先生とは同じ人間でありながら、どうして給料が違うのだ、と彼に問われて私は暫く考えた。そして、それは仕事がちがうからでないか、と答えた。鉄縁の眼鏡をかけ、顔の細い次席訓導は、私のその言葉をすぐ手帖に書きとった。私はかねてか・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・前掛で涙を拭きながら、父の給料の事やら、私たちの洋服代の事やら、いろいろとお金の事を、とても露骨に言い出しました。父は、顎をしゃくって私と弟に、あっちへ行けというような合図をなさいましたので、私は弟をうながして、勉強室へ引き上げましたが、茶・・・ 太宰治 「千代女」
・・・平目一まいの値段が、僕たちの一箇月分の給料とほぼ相似たるものだからな。このごろの漁師はもう、子供にお小遣いをねだられると百円札なんかを平気でくれてやっているのだからね。 そう、そうらしいですね。(部屋の中央に据子供たちにあんな大金を持た・・・ 太宰治 「春の枯葉」
出典:青空文庫