・・・ 新聞で見るとソビエトの五か年計画の一つとしてハバロフスクに百三十キロの大放送局を建設し、イルクーツク以東に二十キロ以上の放送局を五十か所作るということである。これが実現した暁には北西の空からあらゆる波長の電磁波の怒濤が澎湃としてわが国・・・ 寺田寅彦 「北氷洋の氷の割れる音」
・・・このような疑問の岐路に立ってある人は何の躊躇もなく一つの道をとる。そして爪先下りのなだらかな道を下へ下へとおりて行く、ある人はどこまでも同じ高さの峰伝いに安易な心を抱いて同じ麓の景色を眺めながら、思いがけない懸崖や深淵が路を遮る事の可能性な・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・このように連句の場合では1と4が緩徐であるのに、音楽のほうでは1と4が急テンポである事自身がまたわれわれにおもしろい問題を提供するのであるが、これについてはあまりに岐路に入ることになるのでここには述べない。ただこの比較から得らるる一つの暗示・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 私たちは月見草などの蓬々と浜風に吹かれている砂丘から砂丘を越えて、帰路についた。六甲の山が、青く目の前に聳えていた。 雪江との約束を果たすべく、私は一日須磨明石の方へ遊びにいった。もちろんこの辺の名所にはすべて厭な臭味がついて・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・ 道太は何をするともなしに、うかうかと日を送っていたが、お絹とおひろの性格の相違や、時代の懸隔や、今は一つ家にいても、やがてめいめい分裂しなければならない運命にあることも、お絹が今やちょうど生涯の岐路に立っているような事情も、ほぼ呑みこ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・健全なる某帝国の法律が恋愛と婦人に関する一切の芸術をポルノグラフィイと見なすのも思えば無理もない次第である――議論が思わず岐路へそれた――妾宅の主人たる珍々先生はかくの如くに社会の輿論の極端にも厳格枯淡偏狭単一なるに反して、これはまた極端に・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 探険の興は勃然として湧起ってきたが、工場地の常として暗夜に起る不慮の禍を思い、わたくしは他日を期して、その夜は空しく帰路を求めて、城東電車の境川停留場に辿りついた。 葛西橋の欄干には昭和三年一月竣工としてある。もしこれより以前に橋・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・附いて行くのではなくて二町も三町も先へ駈けて行く。岐路があると赤はけろりと立って太十の追いつくのを待って居る。太十が左へ向けば其時一散に左へ駈けて行く。太十は左へ行く時には態と右の方へ足を運ぶ。赤がばらばらと駈けて行くのを見て左の方へ歩いて・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 一冬で、巨大な穴、数万キロの発電所の掘鑿をやるのには、ダイナマイトも坑夫も多量に「消費」されねばならなかった。 午後六時の上り発破の時であった。 昼過ぎから猛烈な吹雪が襲って来たので、捲上の人夫や、捨場の人夫や、バラス取り、砂・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・オツベルときたら、百キロもある鎖をさ、その前肢にくっつけた。「うん、なかなか鎖はいいね。」三あし歩いて象がいう。「靴をはいたらどうだろう。」「ぼくは靴などはかないよ。」「まあはいてみろ、いいもんだ。」オツベルは顔をしかめなが・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
出典:青空文庫