・・・丁度兄の伊藤八兵衛が本所の油堀に油会所を建て、水藩の名義で金穀その他の運上を扱い、業務上水府の家職を初め諸藩のお留守居、勘定役等と交渉する必要があったので、伊藤は専ら椿岳の米三郎を交際方面に当らしめた。 伊藤は牙籌一方の人物で、眼に一丁・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 鴎外が抽斎や蘭軒等の事跡を考証したのはこれらの古書校勘家と一縷の相通ずる共通の趣味があったからだろう。晩年一部の好書家が斎展覧会を催したらドウだろうと鴎外に提議したところが、鴎外は大賛成で、博物館の一部を貸してもイイという咄があった。・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・こっちから訊きもしないのに何故こんな内幕咄をするのか解らなかったが、一と月ばかり経って公然入社の交渉を受けた時初めて思い当った。この交渉は相互の事情でそれぎりとなったが、緑雨と私との関係はそれが縁となって一時はかなり深く交際した。 尤も・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 野の政治家もまた今よりは芸術的好尚を持っていた。かつ在官者よりも自由であって、大抵操觚に長じていたから、矢野龍渓の『経国美談』、末広鉄腸の『雪中梅』、東海散士の『佳人之奇遇』を先駈として文芸の著述を競争し、一時は小説を著わさないものは・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・女学校を出たてのお嬢さんが結婚よりも女の独立を主張し、五十六十のお婆さんまでが洋服を着て若い女と一緒に参政権を絶叫し、台所のお爨どんまで時間制を高唱して労働運動に参加しようとする今日の思潮は世間の大勢で如何ともする事が出来ないのを、官僚も民・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います。しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
古来例のない、非常な、この出来事には、左の通りの短い行掛りがある。 ロシアの医科大学の女学生が、ある晩の事、何の学科やらの、高尚な講義を聞いて、下宿へ帰って見ると、卓の上にこんな手紙があった。宛名も何も書いてない。「あなたの御関係・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・そしてかゝる芸術家は、眼前の社会に対して、最も真実であり、人間的愛を感ずる人道主義の高唱者に他ならないと私は感ずるものであります。 小川未明 「芸術は生動す」
・・・ 言い換えれば、地と人間の親しい交渉、それを措いて生活は他にないのであります。愛と美と温かな感情とが、生活に必要なばかりであって、知識というものは本能的の生活には要がないからであります。 私達は、はじめて地から産れた時の喜びと愛と美・・・ 小川未明 「草木の暗示から」
・・・ その夜、その女といっしょに千日前の寿司捨で寿司を食べ、五十銭で行けと交渉した自動車で女のアパートへ行った。商人コートの男に口説かれていたというただそれだけの理由で、「疳つりの半」へ復讐めいて、その女をものにした。自分から誘惑しておいて・・・ 織田作之助 「雨」
出典:青空文庫