・・・して来て、ほとんど毎日、神妙らしく奥の部屋に閉じこもり、時たまこの地方の何々文化会とか、何々同志会とかいうところから講演しに来い、または、座談会に出席せよなどと言われる事があっても、「他にもっと適当な講師がたくさんいる筈です」と答えて断り、・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・いちど小牛のようなシェパアドに飛びかかっていって、あのときは、私が蒼くなった。はたして、ひとたまりもなかった。前足でころころポチをおもちゃにして、本気につきあってくれなかったのでポチも命が助かった。犬は、いちどあんなひどいめに逢うと、大へん・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・牢屋や留置場の窓の鉄格子、工場の窓の十字格子。終わりに近く映出される丸箱に入った蓄音機の幾何学的整列。こういったようなものが緩急自在な律動で不断に繰り返される。円形の要素としては蓄音機の円盤、工場の煙突や軒に現われるレコードのマーク。工場の・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・アインシュタインの相対性原理の最初の論文を当時講師であった桑木さんが紹介され、それが種となって議論の花を咲かせたのもその頃の事であったのである。当時の輪講会は人数が少なくてそれだけに却って極めてインチームなものであり、至って「尤もらしく」な・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・ちゃんとどこかの公私の発表機関で発表して学界の批評を受け得る形式のものとしなければならないように規定されているのである。それで、もしも審査に合格したある学位論文が、多くの学者の眼で見てなんらの価値がないものであったり、あるいは明白な誤謬に充・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・それでも幸いに今日紅紫の花の種は絶えていない。 ナポレオンは「フランス」を宣伝し、カイザーは「ドイツ」を宣伝した。これらはある意味ではたしかにききめはあった。しかしこの場合にも罪のない紅の花は数限りもなく折られ踏みつぶされて、しかしてお・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・卒業後長崎三菱造船所に入って実地の修業をした後、三十四年に帰京して大学院に入り、同時に母校の講師となった。その当時理科大学物理学科の聴講生となって長岡博士その他の物理学に関する講義に出席した。翌三十五年助教授となり、四十二年応用力学研究のた・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・もっともそのころでもモダーンなハイカラな人もたくさんあって、たとえば当時通学していた番町小学校の同級生の中には昼の弁当としてパンとバタを常用していた小公子もあった。そのバタというものの名前さえも知らず、きれいな切り子ガラスの小さな壺にはいっ・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・そういう、鳥にとってはおそらく生れて以来かつて経験した事のない異常な官能行使の要求に応じるに忙しくて、身に迫る危険を自覚し、そうして逃走の第一歩を踏出すだけの余裕もきっかけもないのであろう。ともかくも運命の環は急加速度で縮まって行って、いよ・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・子供の遊戯と考えられている「リュプレヒト公子の涙」と称するものもまた同部類の現象で、まじめな研究に値するものであるが、だれも手をつけた人を聞かない。 ガラスなどの円盤の中央をたたくと、それがある整数だけのほぼ同大の扇形に割れる。これにつ・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
出典:青空文庫