・・・蔵は、遠慮なく座蒲団を膝へ敷いて、横柄にあたりを見廻すと、部屋は想像していた通り、天井も柱も煤の色をした、見すぼらしい八畳でしたが、正面に浅い六尺の床があって、婆娑羅大神と書いた軸の前へ、御鏡が一つ、御酒徳利が一対、それから赤青黄の紙を刻ん・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・これえ、お焼物がない。ええ、間抜けな、ぬたばかり。これえ、御酒に尾頭は附物だわ。ぬたばかり、いやぬたぬたとぬたった婦だ。へへへへへ、鰯を焼きな、気は心よ、な、鰯をよ。」 と何か言いたそうに、膝で、もじもじして、平吉の額をぬすみ見る女房の・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・……御新規お一人様、なまで御酒……待った、待った。そ、そんなのじゃ決してない。第一、お客に、むらさきだの、鍋下だのと、符帳でものを食うような、そんなのも決して無い。 梅水は、以前築地一流の本懐石、江戸前の料理人が庖丁をさびさせない腕を研・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ただいま思い出しましても御酒が氷になって胸へ沁みます。ぞっとします。……それでいてそのお美しさが忘れられません。勿体ないようでございますけれども、家のないもののお仏壇に、うつしたお姿と存じまして、一日でも、この池の水を視めまして、その面影を・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・「先生は御酒ばかりで」と、お袋は座を取りなして、「ちッともおうなは召しあがらないじゃアございませんか?」「やがてやりましょう――まア、一杯、どうです、お父さん」と、僕は銚子を向けた。「もう、先生、よろしゅうございますよ。うちのは・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・まあ一盃召し上れな、すっかり御酒が醒めておしまいなすったようですね。」と激まして慰めた。それでも主人はなんとなく気が進まぬらしかった。しかし妻の深切を無にすまいと思うてか、重々しげに猪口を取って更に飲み始めた。けれども以前のように浮き立・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・ と御酒機嫌とは云いながら余程御贔屓と見えまして、黄金を一枚出された時に、七兵衞は正直な人ゆえ、これを貰えば嘸家内が悦ぶだろうと思い、押戴いて懐へ突っ込んで玄関へ飛出しました。殿「あれ/\七兵衞が何処かへ往くぞ、誰か見てやれ」 ・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・蜂あたたかに見なさるる窓をうづめて咲くさうびかな題しらず雲ならで通はぬ峰の石陰に神世のにほひ吐く草花歌会の様よめる中に人麻呂の御像のまへに机すゑ灯かかげ御酒そなへおく設け題よみてもてくる歌・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫