・・・ 若い木霊は胸がまるで裂けるばかりに高く鳴り出しましたのでびっくりして誰かに聞かれまいかとあたりを見まわしました。その息は鍛冶場のふいごのよう、そしてあんまり熱くて吐いても吐いても吐き切れないのでした。 その時向うの丘の上を一疋のと・・・ 宮沢賢治 「若い木霊」
・・・ この困難な、けれども正直に生きるすべてのものにとって避けることの出来ない試みは、どのようないきさつで同じ女主人公の上に経験されたか。それは、まだ描かれていないのである。 一九四六・夏〔一九四六年十二月〕・・・ 宮本百合子 「あとがき(『伸子』第一部)」
・・・くだらない偶然で紛糾をひきおこすことは避けるだけの実際性にも富んでいることが生活態度としてある貴いものを与えることにもなるのであると思う。 友情という二つの文字は簡単だが、そこにこめられてある内容は何と複雑だろう。まして、異性の間に友情・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
・・・人民の生活は、燃える空と轟き裂ける大地の間に殲滅される。戦争は、人民にとって直接生命の問題である。命あっての物種、というその命をじかに脅かされることであるから、生命保存のために、人々の全努力が、瞬間の命を守るたたかいに集注される。 絶え・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・地響を立てて横たわる古い、苔や寄生木のついた幹に払われて、共に倒れる小さい生木の裂ける悲鳴。 小枝の折れるパチパチいう音に混って、「南へよけろよーッ、南ー」 ドドーンとまたどこかで、かなり大きい一本が横たわる。 パカッカッ…・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・その時茶店の軒へ駆け込んで雨を避ける二人連の遊人体の男がある。それが小降になるのを待ちながら、軒に立ってこんな話をした。 一人が云った。「お前に話そうと思って忘れていたが、ゆうべの事だった。丁度今のように神田で雨に降り出されて、酒問屋の・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ この車にあえば、徒歩の人も避ける。騎馬の人も避ける。貴人の馬車も避ける。富豪の自動車も避ける。隊伍をなした士卒も避ける。送葬の行列も避ける。この車の軌道を横たわるに会えば、電車の車掌といえども、車をとめて、忍んでその過ぐるを待たざるこ・・・ 森鴎外 「空車」
・・・それが不可能であることを承知していればこそ、日本画家はそれを避けるのではないか。そうして実際の印象とは縁の遠い、ムラのない単色の水面や板壁を描くことになるのではないか。すなわち画布や絵の具が写実を不可能にするゆえに、写実の代わりに、真実を暗・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・その表現に際して虚偽を絶対に避けるためには、姙まれたものに対する極度の誠実と愛と配慮とがなくてはならぬ。――もともと姙まない者が、すなわち高い深い内生を、生命の沸騰を、持っていない者がそれを持っている者のごとくふるまい表現しようとするごとき・・・ 和辻哲郎 「創作の心理について」
出典:青空文庫