・・・その頃横山町に家内太夫という清元のお師匠さんがあった。椿岳はこのお師匠さんに弟子入りして清元の稽古を初めたが、家族にも秘密ならお師匠さんにも淡島屋の主人であるのを秘して、手代か職人であるような顔をして作さんと称していた。それから暫らく経って・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・緑雨の最後の死亡自家広告は三馬や一九やその他の江戸作者の死生を茶にした辞世と共通する江戸ッ子作者特有のシャレであって、緑雨は死の瞬間までもイイ気持になって江戸の戯作者の浮世三分五厘の人生観を歌っていたのだ。 この緑雨の死亡自家広告と旅順・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 自分達の生活――それは、実利的な、独善的な――たゞ、それが支障なく送られゝばそれでいいという考えから、広く人類について、また社会について、考える必要がないとでも思っているのではあるまいか。 そういう人達にとっては、人間に対する、真・・・ 小川未明 「人間否定か社会肯定か」
・・・あれはいつだったっけ、何でも俺が船へ乗り込む二三日前だった、お前のところへ暇乞いに行ったら、お前の父が恐ろしく景気つけてくれて、そら、白痘痕のある何とかいう清元の師匠が来るやら、夜一夜大騒ぎをやらかしたあげく、父がしまいにステテコを踊り出し・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ろか、道もからからに乾いて、橋の上も、平時と少しも変りがない、おやッ、こいつは一番やられたわいと、手にした折詰を見ると、こは如何に、底は何時しかとれて、内はからんからん、遂に大笑いをして、それからまた師匠の家へ帰っても、盛に皆から笑われたと・・・ 小山内薫 「今戸狐」
・・・鰻の寝床みたいな狭い路地だったけれど、しかしその辺は宗右衛門町の色町に近かったから、上町や長町あたりに多いいわゆる貧乏長屋ではなくて、路地の両側の家は、たとえば三味線の師匠の看板がかかっていたり、芝居の小道具づくりの家であったり、芸者の置屋・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 坂田は無学文盲、棋譜も読めず、封じ手の字も書けず、師匠もなく、我流の一流をあみ出して、型に捉えられぬ関西将棋の中でも最も型破りの「坂田将棋」は天衣無縫の棋風として一世を風靡し、一時は大阪名人と自称したが、晩年は不遇であった。いや、無学・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 神田の新銀町の相模屋という畳屋の末娘として生れた彼女が、十四の時にもう男を知り、十八の歳で芸者、その後不見転、娼妓、私娼、妾、仲居等転々とした挙句、被害者の石田が経営している料亭の住込仲居となり、やがて石田を尾久町の待合「まさき」で殺・・・ 織田作之助 「世相」
・・・頓て浮世の隙が明いて、筐に遺る新聞の数行に、我軍死傷少なく、負傷者何名、志願兵イワーノフ戦死。いや、名前も出まいて。ただ一名戦死とばかりか。兵一名! 嗟矣彼の犬のようなものだな。 在りし昔が顕然と目前に浮ぶ。これはズッと昔の事、尤もな、・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・九十二だというが血色といい肉づきといい、どこにも老衰の兆しの見えないような親戚の老人は、父の子供の時分からのお師匠さんでもあった。分家の長兄もいつか運転手の服装を改めて座につき、仕出し屋から運ばれた簡単な精進料理のお膳が二十人前ほど並んで、・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
出典:青空文庫