・・・大唐、便ち左右より船を夾みて繞り戦う。須臾の際に官軍敗績れぬ。水に赴きて溺死る者衆し。艫舳、廻旋することを得ず。」(日本書紀 いかなる国の歴史もその国民には必ず栄光ある歴史である。何も金将軍の伝説ばかり一粲に価する次第ではない。・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・ここに林のごとく売るものは、黒く紫な山葡萄、黄と青の山茱萸を、蔓のまま、枝のまま、その甘渋くて、且つ酸き事、狸が咽せて、兎が酔いそうな珍味である。 このおなじ店が、筵三枚、三軒ぶり。笠被た女が二人並んで、片端に頬被りした馬士のような親仁・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・「手前、御存じの少々近視眼で。それへこう、霞が掛りました工合に、薄い綺麗な紙に包んで持っているのを、何か干菓子ででもあろうかと存じました処。」「茱萸だ。」と云って雑所は居直る。話がここへ運ぶのを待構えた体であった。「で、ござりま・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・散歩の人たちは、蜘蛛の子を散らすように、ぱあっと飛び散り、どこへどう消え失せたのか、お化けみたい、たったいままで、あんなにたくさん人がいたのに、須臾にして、巷は閑散、新宿の舗道には、雨あしだけが白くしぶいて居りました。博士は、花屋さんの軒下・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ 井戸端の茱萸の実が、ほんのりあかく色づいている。もう二週間もしたら、たべられるようになるかも知れない。去年は、おかしかった。私が夕方ひとりで茱萸をとってたべていたら、ジャピイ黙って見ているので、可哀想で一つやった。そしたら、ジャピイ食・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・重陽の節に山に登り、菊の花または茱萸の実を摘んで詩をつくることは、唐詩を学んだ日本の文人が、江戸時代から好んでなした所である。上海の市中には登るべき岡阜もなく、また遠望すべき山影もない。郊外の龍華寺に往きその塔に登って、ここに始めて雲烟渺々・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・○苗代茱萸を食いし事 同じ信州の旅行の時に道傍の家に苗代茱萸が真赤になっておるのを見て、余はほしくて堪らなくなった。駄菓子屋などを覗いて見ても茱萸を売っている処はない。道で遊でいる小さな児が茱萸を食いながら余の方を不思議そうに見ておるな・・・ 正岡子規 「くだもの」
出典:青空文庫