・・・ 黒小袖の肩を円く、但し引緊めるばかり両袖で胸を抱いた、真白な襟を長く、のめるように俯向いて、今時は珍らしい、朱鷺色の角隠に花笄、櫛ばかりでも頭は重そう。ちらりと紅の透る、白襟を襲ねた端に、一筋キラキラと時計の黄金鎖が輝いた。 上が・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・……湯気に山茶花の悄れたかと思う、濡れたように、しっとりと身についた藍鼠の縞小紋に、朱鷺色と白のいち松のくっきりした伊達巻で乳の下の縊れるばかり、消えそうな弱腰に、裾模様が軽く靡いて、片膝をやや浮かした、褄を友染がほんのり溢れる。露の垂りそ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ やがて、朱鷺色の手巾で口を蔽うて、肩で呼吸して、向直って、ツンと澄して横顔で歩行こうとした。が、何と、自から目がこっちに向くではないか。二つ三つ手巾に、すぶりをくれて、たたきつけて、また笑った。「おほほほほ、あははは、あははははは・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ 満蔵は庭を掃いてる様子、姉は棕梠箒で座敷を隅から隅まで、サッサッ音をさせて掃いている。姉は実に働きものだ。姉は何をしたってせかせかだ。座敷を歩くたって品ぶってなど歩いてはいない。どしどし足踏みして歩く。起こされないたって寝ていられるも・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・樫、梅、橙などの庭木の門の上に黒い影を落としていて、門の内には棕櫚の二、三本、その扇めいた太い葉が風にあおられながらぴかぴかと輝っている。 豊吉はうなずいて門札を見ると、板の色も文字の墨も同じように古びて「片山四郎」と書いてある。これは・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ただ一つの屋根窓だけが開いていて、二つの棕櫚の葉の間から白い手が見えて、小さなハンケチを別れをおしんでふるかのようにふっていました。 おかあさんはまた入り口の階段を上ってみますと、はえしげった草の中に桃金嬢と白薔薇との花輪が置いてありま・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・群集は、刻一刻とその数を増し、あの人の通る道々に、赤、青、黄、色とりどりの彼等の着物をほうり投げ、あるいは棕櫚の枝を伐って、その行く道に敷きつめてあげて、歓呼にどよめき迎えるのでした。かつ前にゆき、あとに従い、右から、左から、まつわりつくよ・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・あれは棕梠である。あの樹木に覆われているひくいトタン屋根は、左官屋のものだ。左官屋はいま牢のなかにいる。細君をぶち殺したのである。左官屋の毎朝の誇りを、細君が傷つけたからであった。左官屋には、毎朝、牛乳を半合ずつ飲むという贅沢な楽しみがあっ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・指一本うごかせない。棕櫚の葉の如く、両手の指を、ぱっとひろげたまま、活人形のように、ガラス玉の眼を一ぱいに見はったきり、そよとも動かぬ。極度の恐怖感は、たしかに、突風の如き情慾を巻き起させる。それに、ちがいない。恐怖感と、情慾とは、もともと・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・そして細かい棕櫚の毛で編んだ帽子とでもいったようなものをかぶっている。指でつまむとその帽子がそのままですぽりと脱け落ちた。芋の横腹から突き出した子芋をつけているのもたくさんあった。 子供らが見つけてやって来ていじり回した。一つ一つ「帽子・・・ 寺田寅彦 「球根」
出典:青空文庫