・・・となんの愛情もない身体の関係を続けていた。子もなく夫にも死に別れたその女にはどことなく諦らめた静けさがあって、そんな関係が生じたあとでも別に前と変わらない冷淡さもしくは親切さで彼を遇していた。生島には自分の愛情のなさを彼女に偽る必要など少し・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 或日自分は何時のように滑川の辺まで散歩して、さて砂山に登ると、思の外、北風が身に沁ので直ぐ麓に下て其処ら日あたりの可い所、身体を伸して楽に書の読めそうな所と四辺を見廻わしたが、思うようなところがないので、彼方此方と探し歩いた、すると一・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・ 彼の幼時の風貌を古伝記は、「容貌厳毅にして進退挺特」と書いている。利かぬ気の、がっしりした鬼童であったろう。そしてこの鬼童は幼時より学を好んだ。「予はかつしろしめされて候がごとく、幼少の時より学文に心をかけし上、大虚空蔵菩薩の御宝・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・一、身体を大切にせねばならない。仕事には非常の根気とエネルギーが要る。身体が丈夫ならば丈夫なだけいい。芸術上の仕事には種々な経験が豊かなほどいいのだが、身体が弱ければ生活が狭くなる。少なくともかなりな程度の健康を保つこと・・・ 倉田百三 「芸術上の心得」
・・・二人はお互いに、相手の顔や身体を眺めあった。老人は、鮮人に共通した意気の揚らない顔と、表情とを持っていた。彼は鮮人と云えば、皆同じようなプロフィルと表情を持っているとしか見えない位い、滅多に接近したことがなかった。彼等の顔には等しく、忍従し・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ぞんざいというと非難するように聞えるが、そうではない、シネクネと身体にシナを付けて、語音に礼儀の潤いを持たせて、奥様らしく気取って挨拶するようなことはこの細君の大の不得手で、褒めて云えば真率なのである。それもその道理で、夫は今でこそ若崎先生・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・青い汚い顔をして、何日いたのか身体中プーンといやなにおいをさせているのです。――娘の話によると、レポーターとかいうものをやっていて、捕かまったそうです。 ところが娘は十日も家にいると、またひょッこり居なくなるのでした。そして二三ヵ月もす・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・それでも勤めますと後二三日は身体が利かんくらいだという、余程稽古のむずかしいものと見えます。許し物と云って、其の中に口伝物が数々ございます。以前は名人が多かったものでございます。觀世善九郎という人が鼓を打ちますと、台所の銅壺の蓋がかたりと持・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・彼女は孤独で震えるように成ったばかりでなく、もう長いこと自分の身体に異状のあることをも感じていた。彼女は娘のお新と共に――四十の歳まで結婚させることも出来ずに処女で通させて来たような唯一人の不幸なお新と共に最後の「隠れ家」を求めようとするよ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・としよりがその始末なので、若い者は尚の事、遊び馴れて華奢な身体をして居ます。毎日朝から、いろいろ大小の与太者が佐吉さんの家に集ります。佐吉さんは、そんなに見掛けは頑丈でありませんが、それでも喧嘩が強いのでしょうか、みんな佐吉さんに心服してい・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
出典:青空文庫