・・・ 故に短命なる死、不自然なる死ちょうことは、必しも嫌悪し忘弔すべきでない、若し死に嫌忌し哀弔すべき者ありとせば、其は多くの不慮の死、覚悟なき死、安心なき死、諸種の妄執・愛着を断ち得ざるよりする心中の憂悶や、病気や負傷よりする肉体の痛苦を・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・彼女はそこに置いてある火鉢から細い真鍮の火箸を取って見て、曲げるつもりもなくそれを弓なりに折り曲げた。「おばあさん――またここのお医者様に怒られるぞい」 と三吉は言って、不思議そうにおげんの顔を見ていたが、やがて子供らしく笑い出した・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ 或日彼は、アンティフォンという男に向って、真鍮はどこから出るのが一番いいかとたずねました。すると、アンティフォンは、「それはハーモディヤスとアリストゲイトンの鋳像のが一ばん上等です。」と答えました。ディオニシアスは愕いて、忽ちその・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・ふたり共、それをちゃんと意識していて、お酒に酔ったとき、掛合いで左団次松蔦の鳥辺山心中や皿屋敷などの声色を、はじめることさえ、たまにはありました。 そんなとき、二階の西洋間のソファにひとり寝ころんで、遠く兄たち二人の声色を聞き、けッと毒・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・古老の曰く、「心中の敵、最も恐るべし。」私の小説が、まだ下手くそで伸び切らぬのは、私の心中に、やっぱり濁ったものがあるからだ。 太宰治 「鬱屈禍」
・・・と、身中の虫、芸術家としての「虚栄」との葛藤である、と私には考えられるのであります。 ああ、決闘やめろ。拳銃からりと投げ出して二人で笑え。止したら、なんでも無いことだ。ささやかなトラブルの思い出として残るだけのことだ。誰にも知られずにす・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・、しおから蜻蛉、紅葉も散り、ひとびと黒いマント着て巷をうろつく師走にいたり、やっと金策成って、それも、三十にちかき荷物のうち、もっとも安直の、ものの数ならぬ小さい小さいバスケット一箇だけ、きらきら光る真鍮の、南京錠ぴちっとあけて、さて皆様の・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ お茶の水から甲武線に乗り換えると、おりからの博覧会で電車はほとんど満員、それを無理に車掌のいる所に割り込んで、とにかく右の扉の外に立って、しっかりと真鍮の丸棒を攫んだ。ふと車中を見たかれははッとして驚いた。そのガラス窓を隔ててすぐそこ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ その他の曲にはなかなか複雑な仕組みのものもあったが、たとえば大小の弦楽器が多くは大小の曲線の曲線的運動で現わされ真鍮管楽器が短い直線の自身に直角な衝動的運動で現わされたり、太鼓の音が画面をいっさんに駆け抜ける扇形の放射線で現わされたり・・・ 寺田寅彦 「踊る線条」
・・・と称する部類に編入され、カフェーの内幕話や、心中実話の類と肩をならべ、そうしていわゆる「創作」と称する小説戯曲とは全然別の繩張り中に収容されているようである。これはもちろん、形式上の分類法からすれば当然のことであって、これに対して何人も異議・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
出典:青空文庫