・・・ 勿論貉は、神武東征の昔から、日本の山野に棲んでいた。そうして、それが、紀元千二百八十八年になって、始めて人を化かすようになった。――こう云うと、一見甚だ唐突の観があるように思われるかも知れない。が、それは恐らく、こんな事から始まったの・・・ 芥川竜之介 「貉」
一 書とは何か 書物は他人の労作であり、贈り物である。他人の精神生活の、あるいは物的の研究の報告である。高くは聖書のように、自分の体験した人間のたましいの深部をあまねく人類に宣伝的に感染させようとしたものか・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・中でも早吸の瀬戸などは神武天皇が東征の時に御通りになったというので、歴史で名高くその名も潮流の早い事を示していて大変に面白い名でありますが、今ではただ豊後海峡と呼ばれています。伊予の西の端に指のように突き出た佐田岬半島と豊後の佐賀の関半島と・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
・・・ 余は日本人として、神武天皇以来の日本人が、如何なる事業をわが歴史上に発展せるかの大問題を、過去に控えて生息するものである。固より余一人の仕事は、余一人の仕事に違いないのだから、余一人の意志で成就もし破壊もするつもりではあるが、余の過去・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」
・・・ゆえにそれは、どんなに馬鹿げていても、難解でも必ず心の深部において万人の共通である。卑怯な成人たちに畢竟不可解なだけである。四 これは田園の新鮮な産物である。われらは田園の風と光の中からつややかな果実や、青い蔬菜といっしょにこれらの・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
・・・ 栖方の本心が眼覚めて来ている。梶はそう思って、「ふむ」と云った。「何ぜでしょうかね。僕はもうちょっと生きていたいのですよ。僕はこのごろ、それで眠れないのです。」 深部の人間が揺れ動いて来ている声である。気附いたなと梶は思った。・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫