・・・ 吉助「えす・きりすと様、さんた・まりや姫に恋をなされ、焦れ死に果てさせ給うたによって、われと同じ苦しみに悩むものを、救うてとらしょうと思召し、宗門神となられたげでござる。」 奉行「その方はいずこの何ものより、さような教を伝授された・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・ 泡を吐き、舌を噛み、ぶつぶつ小じれに焦れていた、赤沼の三郎が、うっかりしたように、思わず、にやりとした。 姫は、赤地錦の帯脇に、おなじ袋の緒をしめて、守刀と見参らせたは、あらず、一管の玉の笛を、すっとぬいて、丹花の唇、斜めに氷柱を・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 私死にます、柳橋の蔦吉は男に焦れて死んで見せるわ。早瀬 これ、飛んでもない、お前は、血相変えて、勿体ない、意地で先生に楯を突く気か。俺がさせない。待て、落着いて聞けと云うに!――死んでも構わないとおっしゃったのは、先生だけれど、……お・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・Sも私を待ち焦れているだろうと思うと、胸騒ぎは一層激しくなった。いつか私はびしょ濡れになりながら、広場のあちこちを駆けずり廻り、苦しいまでに焦燥を感じた。Sはどこにいるのだろう。私は人一倍背が高く、つまりノッポの一徳で、見通しの利く方なのだ・・・ 織田作之助 「面会」
・・・ 雪子は阿倍野橋の宿屋の一室に寝巻のまま閉じこもって、小沢の帰りを待ち焦れていた。 妙な一夜が明けて、朝小沢は眼を覚すと、雪子に言った。「君、どうする……?」「どうするって……?」「帰れる、その恰好で……」「帰られへ・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・の晩でございます、お幸に一目逢いたいという未練は山々でしたが、ここが大事の場合だと、母の法名を念仏のように唱えまして、暗に乗じて山里を逃亡いたしました、その晩あたりは何も知らないお幸が私の来るのを待ち焦れていたのに違いありません。女に欺され・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・軍艦の水兵たちや、戦地に行った者たちが、内地からの郵便物を恐ろしく焦れ待つことは、多くの者の経験するところで、後年の文学にたび/\出てくるが、独歩は既に、そのことをこゝに書いている。また、支那の僻陬の地の農民たちは、日清戦争があったことも、・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・さは遊ばぬ前日に三倍し雨晨月夕さすが思い出すことのありしかど末のためと目をつぶりて折節橋の上で聞くさわぎ唄も易水寒しと通りぬけるに冬吉は口惜しがりしがかの歌沢に申さらく蝉と螢を秤にかけて鳴いて別りょか焦れて退きょかああわれこれをいかんせん昔・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・彼はお石を待ち焦れて居た。其秋のマチにも瞽女は隊を組んで幾らも来た。其頃になってからは瞽女の風俗も余程変って来て居た。幾らか綺麗な若いものは三味線よりも月琴を持って流行唄をうたって歩いた。そうして目明が多くなった。お石は来なかった。それっき・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 入れもしないのに早く来て、それを誇りに思う心持も微笑まれるし、暑かろうが寒かろうが、小門から出入する気などは毛頭起さず、ひたすら、小使が閂を抜いてさっと大門を打ち開くのを今か今かと、群れて待ち焦れている心持は、顧みて今、始めていとしさ・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
出典:青空文庫