・・・お君はもう笑い声を立てることもなかった。お君の関心が豹一にすっかり移ってしまったので、安二郎は豹一の存在を徳とし、豹一の病気を本能的に怖れていても公然とはいやな顔をしなかった。 しかし豹一は二月も寝ていなかった。絶えず何かの義務を自分に・・・ 織田作之助 「雨」
・・・バラックを出ると、一人の男があのカレー屋ははじめ露天だったが、しこたま儲けたのか二日の間にバラックを建ててしまった、われわれがバラックの家を建てるのには半年も掛るが、さすがは闇屋は違ったものだと、ブツブツ話し掛けて来たので相手になっていると・・・ 織田作之助 「世相」
・・・その代り俺の方で惣治からの仕送りを断るから、それでお前は別に生計を立てることにしたがいいだろう。とにかくいっしょにいるという考えはよくない」 気のいい老父は、よかれ悪かれ三人の父親である耕吉の、泣いて弁解めいたことを言ってるのに哀れを催・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・お前はすぐ爪を立てるのだから。 梶井基次郎 「愛撫」
・・・空地では家を建てるのか人びとが働いていた。 川上からは時どき風が吹いて来た。カサコソと彼の坐っている前を、皺になった新聞紙が押されて行った。小石に阻まれ、一しきり風に堪えていたが、ガックリ一つ転ると、また運ばれて行った。 二人の子供・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・明け放したる障子に凭りて、こなたを向きて立てる一人の乙女あり。かの唄の主なるべしと辰弥は直ちに思いぬ。 顔は隔たりてよくも見えねど、細面の色は優れて白く、すらりとしたる立姿はさらに見よげなり。心ともなくこなたを打ち仰ぎて、しきりにわれを・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 祭の日などには舞台据えらるべき広辻あり、貧しき家の児ら血色なき顔を曝して戯れす、懐手して立てるもあり。ここに来かかりし乞食あり。小供の一人、「紀州紀州」と呼びしが振向きもせで行過ぎんとす。うち見には十五六と思わる、蓬なす頭髪は頸を被い・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・その如くに童貞者にあるまじりなき憧憬は青春の幸福の本質をなすものであってひとたび女を知るならば、もはや青春はひび割れたるものとなり、その立てる響きは雑音を混じえずにはおかなくなる。そしてそれは性の問題だけでなく、人生一般の見方に及ぶのである・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・夫婦道も母性愛も打ち建てるべき土台を失うわけである。その人の子を産みたいような男子、すなわち恋する男の子を産まないでは、家庭のくさびはひびが入っているではないか。ことに結婚生活に必ずくる倦怠期に、そのときこそ本当の夫婦愛が自覚されねばならな・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ もっと隅ッこの人目につかんところへ建てるとか、お屋敷からまる見えだし、景色を損じて仕様がない!」「チッ! くそッ!」 自分の住家の前に便所を建てていけないというに到っては、別荘も、別邸もあったもんじゃなかった。国立公園もヘチマもな・・・ 黒島伝治 「名勝地帯」
出典:青空文庫