・・・吾妻橋から川下ならば、駒形、並木、蔵前、代地、柳橋、あるいは多田の薬師前、うめ堀、横網の川岸――どこでもよい。これらの町々を通る人の耳には、日をうけた土蔵の白壁と白壁との間から、格子戸づくりの薄暗い家と家との間から、あるいは銀茶色の芽をふい・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・「十字架に懸り死し給い、石の御棺に納められ給い、」大地の底に埋められたぜすすが、三日の後よみ返った事を信じている。御糺明の喇叭さえ響き渡れば、「おん主、大いなる御威光、大いなる御威勢を以て天下り給い、土埃になりたる人々の色身を、もとの霊魂に・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・いや、ある時は大地の底に爆発の機会を待っている地雷火の心さえ感じたものである。こう云う溌剌とした空想は中学校へはいった後、いつのまにか彼を見離してしまった。今日の彼は戦ごっこの中に旅順港の激戦を見ないばかりではない、むしろ旅順港の激戦の中に・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・これはもちろん火がつくところから自然と連想を生じたのであろう。 一三 剥製の雉 僕の家へ来る人々の中に「お市さん」という人があった。これは代地かどこかにいた柳派の「五りん」のお上さんだった。僕はこの「お市さん」にいろ・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・老人の言葉がまだ終らない内に、彼は大地に額をつけて、何度も鉄冠子に御時宜をしました。「いや、そう御礼などは言って貰うまい。いくらおれの弟子にしたところが、立派な仙人になれるかなれないかは、お前次第で決まることだからな。――が、ともかくも・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・六金さんのほかにも、柳橋のが三人、代地の待合の女将が一人来ていたが、皆四十を越した人たちばかりで、それに小川の旦那や中洲の大将などの御新造や御隠居が六人ばかり、男客は、宇治紫暁と云う、腰の曲った一中の師匠と、素人の旦那衆が七八人、その中の三・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・それからは坂道はいくらもなくって、すぐに広々とした台地に出た。そこからずっとマッカリヌプリという山の麓にかけて農場は拡がっているのだ。なだらかに高低のある畑地の向こうにマッカリヌプリの規則正しい山の姿が寒々と一つ聳えて、その頂きに近い西の面・・・ 有島武郎 「親子」
・・・人は大地を踏むことにおいて生命に触れているのだ。日光に浴していることにおいて精神に接しているのだ。 それゆえに大地を生命として踏むことが妨げられ、日光を精神として浴びることができなければ、それはその人の生命のゆゆしい退縮である。マルクス・・・ 有島武郎 「想片」
・・・私共の根はいくらかでも大地に延びたのだ。人生を生きる以上人生に深入りしないものは災いである。 同時に私たちは自分の悲しみにばかり浸っていてはならない。お前たちの母上は亡くなるまで、金銭の累いからは自由だった。飲みたい薬は何んでも飲む事が・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・この時の流の音の可恐さは大地が裂けるようであった。「ああ、そうとは知りませぬ。――小児衆の頑是ない、欲しいものは欲しかろうと思うて進ぜました。……毎日見てござったは雛じゃったか。――それはそれは。……この雛はちと大金のものゆえに、進上は申さ・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
出典:青空文庫