・・・ 刑務所の書信用紙というのは赤刷りの細かい罫紙で、後の注意という下の欄には――手紙ノ発受ハ親類ノ者ニノミコレヲ許スソノ度数ハ二カ月ゴトニ一回トス賞表ヲ有スル在所人ニハ一回ヲ増ス云々――こういった事項も書きこまれてある。そして手紙の日づけ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・遠キハ招クガ如ク近キハ語ラントス。間少シク曲折アリ。第一曲ヨリ東北ニ行クコト三、四曲ニシテ、以テ木母寺ニ至ツテ窮ル。曲曲回顧スレバ花幔地ヲ蔽ヒ恍トシテ路ナキカト疑フ。排イテ進メバ則白雲ノ湧スルガ如ク、杳トシテ際涯ヲ見ズ。低回スルコト頃クニシ・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・楼上ニハ常ニ二隊ヲ置キ階下ニハ一隊ヲ留ムルヲ例トス。三隊互ニ循環シテ上下ス。サレバ客ノ此楼ニ登ツテ酔ヲ買ハント欲スルモノ、若シ特ニ某隊中ノ阿嬌第何番ノ艶語ヲ聞カンコトヲ冀フヤ、先阿嬌所属ノ一隊ノ部署ヲ窺ヒ而シテ後其ノ席ニ就カザル可カラズ。然・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ 午前六時何分かに、鳥栖で乗換る頃には霧雨であった。南風崎、大村、諫早、海岸に沿うて遽しくくぐる山腹から出ては海を眺めると、黒く濡れた磯の巖、藍がかった灰色に打ちよせる波、舫った舟の檣が幾本も細雨に揺れ乍ら林立して居る景色。版画的で、眼・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・そこを立って来た夜半に、計らず聴いた雨の音故一きわすがすがしく、しめやかに感じたということもあろう。鳥栖で、午前六時、長崎線に乗換る時には、歩廊を歩いている横顔にしぶきを受ける程の霧雨であった。車室は、極めて空いている。一体、九州も、東海岸・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫