・・・そんな妙な商売は近頃とんと無くなりましたが、締括った総体の高から云えば、どうも今日の方が職業というものはよほど多いだろうと思う。単に職業に変化があるばかりでなく、細かくなっている。現に唐物屋というものはこの間まで何でも売っていた。襟とか襟飾・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・自分はその後受けた身体の変化のあまり劇しいのと、その劇しさが頭に映って、この間からの過去の影に与えられた動揺が、絶えず現在に向って波紋を伝えるのとで、山葵おろしの事などはとんと思い出す暇もなかった。それよりはむしろ自分に近い運命を持った在院・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・ しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみと云う態度・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ 遠くのほうの林はまるで海が荒れているように、ごとんごとんと鳴ったりざっと聞こえたりするのでした。一郎は顔いっぱいに冷たい雨の粒を投げつけられ、風に着物をもって行かれそうになりながら、だまってその音をききすまし、じっと空を見上げました。・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ 遠くの方の林はまるで海が荒れているようにごとんごとんと鳴ったりざあと聞えたりするのでした。一郎は顔や手につめたい雨の粒を投げつけられ風にきものも取って行かれそうになりながらだまってその音を聴きすましじっと空を見あげました。もう又三郎が・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。「どうも腹が空いた。さっきから横っ腹が痛くてたまらないんだ。」「ぼくもそうだ。もうあんまりあるきたくないな。」「あるきたくないよ。ああ困っ・・・ 宮沢賢治 「注文の多い料理店」
・・・さむらいはふところから白いたすきを取り出して、たちまち十字にたすきをかけ、ごわりと袴のもも立ちを取り、とんとんとんと土手の方へ走りましたが、ちょっとかがんで土手のかげから、千両ばこを一つ持って参りました。 ははあ、こいつはきっと泥棒だ、・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・ 腰の骨が膿んだ云うてやが、そんな事あるもんやろか、 とんときいた事はあらへんがなあ。「え? 腰の骨が膿んだ。 まあまあ、どうしたのやろ、 あかんえなあ。 そいで何どすか、切開でもした様だっか。「うん先月の十一日・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 今も、森とした夜の畳の上に、彼が、一日中疲れた丸い脚をすとんと延し、斜に手をついて「困ったことじゃあないか、え?――まあ、今夜はおそくもなったから、帰るといい。よく考えなくちゃならんことだ。」と云われると、自分は言葉に従うほか・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
・・・ この時突然、店の庭先で太鼓がとどろいた、とんと物にかまわぬ人のほかは大方、跳り立って、戸口や窓のところに駆けて出た、口の中をもぐもぐさしたまま、手にナフキンを持ったままで。 役所の令丁がその太鼓を打ってしまったと思うと、キョトキョ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
出典:青空文庫