・・・が、お嬢さんの身の上を思うと、どうしてもじっとしてはいられません。そこでとうとう盗人のように、そっと家の中へ忍びこむと、早速この二階の戸口へ来て、さっきから透き見をしていたのです。 しかし透き見をすると言っても、何しろ鍵穴を覗くのですか・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・けれども折角そこまで来ていながら、そのまま引返すのはどうしてもいやでした。で、妹に帽子を脱がせて、それを砂の上に仰向けにおいて、衣物やタオルをその中に丸めこむと私たち三人は手をつなぎ合せて水の中にはいってゆきました。「ひきがしどいね」・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・私は自分の閲歴の上から、どうしても詩の将来を有望なものとは考えたくなかった。たまたまそれらの新運動にたずさわっている人々の作を、時おり手にする雑誌の上で読んでは、その詩の拙いことを心ひそかに喜んでいた。 散文の自由の国土! 何を書こうと・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・そうしてどうしても三回、必ずポストを周って見る。それが夜ででもあればだが、真昼中狂気染みた真似をするのであるから、さすがに世間が憚られる、人の見ぬ間を速疾くと思うのでその気苦労は一方ならなかった。かくてともかくにポストの三めぐりが済むとなお・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・目のさきからじきに山すそに連続した、三、四里もある草木あるいは石の原などをひと目に見わたすと、すべての光景がどうしてもまぼろしのごとく感ずる。 予はふかくこの夢幻の感じに酔うて、河口湖畔の舟津へいでた。舟津の家なみや人のゆききや、馬のゆ・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・もなくよろこび心をおちつけて油単の包をあらためて肩にかけながら、「私は越前福井の者でござりまするが先年二人の親に死に別れてしまったのでこの様な姿になりましたけれ共それがもうよっぽど時はすぎましたけれ共どうしてもなくなった二親の事が忘られない・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・「それがつらいのか?」「どうしても、疑わしいッて聴かないんだもの、癪にさわったから、みんな言っちまった――『あなたのお世話にゃならない』て」「それでいいじゃアないか?」「じゃア、向うがこれからのお世話は断わると言うんだが、い・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・が、どうしてもそれまで起きていられないので燈火の消える時刻を突留める事が出来なかった。或る晩、深夜に偶と眼が覚めて寝つかれないので、何心なく窓をあけて見ると、鴎外の書斎の裏窓はまだポッカリと明るかった。「先生マダ起きているな、」と眺めている・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・しかしこの場を立ち上がって、あの倒れている女学生の所へ行って見るとか、それを介抱して遣るとかいう事は、どうしてもして遣りたくない。女房はこの出来事に体を縛り付けられて、手足も動かされなくなっているように、冷淡な心持をして、時の立つのを待って・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・「私は、からだが、そう強いほうではないし、それに故郷は寒いんですから、帰りたくはないけれど、どうしても帰るようになるかもしれないのよ。」 ある日、先生は、こんなことをおっしゃいました。そのとき、年子は、どんなに驚いたでしょう。それよ・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
出典:青空文庫