・・・美しい花の雲を見ていると眩暈がして軽い吐気をさえ催した。どんよりと吉野紙に包まれたような空の光も、浜辺のような白い砂地のかがやきも、見るもののすべての上に灰色の悲しみが水の滲みるように拡がって行った。「あなたはどうしてそんなに悲しそうで・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・ そのうちお日さまは、変に赤くどんよりなって、西の方の山に入ってしまい、残りの空は黄いろに光り、草はだんだん青から黒く見えて来た。 さっきからの音がいよいよ近くなり、すぐ向うの丘のかげでは、さっきのらしい馬のひんひん啼くのも鼻をぶる・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
・・・革命記念日に嚔をしたと云って懲罰をくったと杉浦啓一が云ったら、みんなドッと笑い傍聴人まで笑いましたが、法官帽の連中はどんよりした顔で別に笑いもしません。大体気力のない様子です。 杉浦啓一が、革命の完成の日を見ないで敵の手に倒れた二十七名・・・ 宮本百合子 「共産党公判を傍聴して」
・・・ 風もない。木の葉が「かさ」とも「こそ」とも云わない中に、私の下駄の下にくずれて行く霜柱の音ばかりがさむげに響いて居る。 どんよりとした空に、白い昼の月が懸って灰色の雲の一重奥には、白い粉雪が一様にたまって居るのじゃああるまいかと思・・・ 宮本百合子 「霜柱」
・・・けれども、日光の下で歩いて見ると、艷のない、塵っぽい店舗に私共は別に大して奇もない商品と小僧中僧の労作と、睡そうな、どんよりした顔つきの番頭とを認めるだけだ。夜になると、商売が単に商売――物品と金銭との交換――とはいえない面白さ、気の張りを・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
・・・ 一隅に、四抱えもある大柳が重い葉をどんより沼の上に垂れていた。柳には、乾いた藻のような寄生木が、ぼさぼさ一杯ぶら下っている。沼気の籠った、むっとする暑苦しさ。日光まで、際限なく単調なミシシッピイの秋には飽き果てたように、萎え疲れて澱ん・・・ 宮本百合子 「翔び去る印象」
・・・ 小波瀾が納まると、再び、待ちくたびれてどんよりとした重苦しさが場内に拡がった、そこへ不意にパッと満場の電燈が打った。わーというような無邪気な声と笑いが一斉に低いながら湧きおこった。国技館でも灯が入った刹那にはやはり罪のない歓声が鉄傘を・・・ 宮本百合子 「待呆け議会風景」
・・・ 灰色のまぶたの下にどんよりした目をかくして尚思いつづけた。「あの沼に居た頃は、マアどんなに嬉しい事ばかりだったか――己は、あのしおらしげな姿をして居た娘を、どれほど可愛がって居たんだか――あの娘も己を思って居て呉れたんだ。己達はい・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・風も吹かず、日光も照らず、どんより薄ぐもりの空から、蒸暑い熱気がじわじわ迫って来る処に凝っと坐り、朝から晩まで同じ気持に捕えられていると、自分と云うものの肉体的の存在が疑わしいようになる――活きて、動いて、笑い、憤りしていた一人の女性として・・・ 宮本百合子 「文字のある紙片」
出典:青空文庫