・・・先生はのそのそ置炬燵から次の間へ這出して有合う長煙管で二、三服煙草を吸いつつ、余念もなくお妾の化粧する様子を眺めた。先生は女が髪を直す時の千姿万態をば、そのあらゆる場合を通じて尽くこれを秩序的に諳じながら、なお飽きないほどの熱心なる観察者で・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・作蔵君は婆化されよう、婆化されようとして源兵衛村をのそのそしているのでげす。その婆化されようと云う作蔵君の御注文に応じて拙がちょっと婆化して上げたまでの事でげす。すべて狸一派のやり口は今日開業医の用いておりやす催眠術でげして、昔からこの手で・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・汽車電車は無論人力さえ工夫する手段を知らないで、どこまでも親譲りの二本足でのそのそ歩いて行く文章であります。したがって散文的の感があるのです。散文的な文章とは馬へも乗れず、車へも乗れず、何らの才覚がなくって、ただ地道に御拾いでおいでになる文・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ 象はのそのそ鍛冶場へ行って、べたんと肢を折って座り、ふいごの代りに半日炭を吹いたのだ。 その晩、象は象小屋で、七把の藁をたべながら、空の五日の月を見て「ああ、つかれたな、うれしいな、サンタマリア」と斯う言った。 どうだ、そ・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・ 猫大将はのそのそ歩きだしました。 クねずみはこわごわあとについて行きました。猫のおうちはどうもそれは立派なもんでした。紫色の竹で編んであって中はわらや布きれでホクホクしていました。おまけにちゃあんとご飯を入れる道具さえあったのです・・・ 宮沢賢治 「クねずみ」
・・・廻りの五疋も一ぺんにぱっと四方へちらけようとしましたが、はじめの鹿が、ぴたりととまりましたのでやっと安心して、のそのそ戻ってその鹿の前に集まりました。「なじょだた。なにだた、あの白い長いやづあ。」「縦に皺の寄ったもんだけあな。」・・・ 宮沢賢治 「鹿踊りのはじまり」
・・・楽長はポケットへ手をつっ込んで拍手なんかどうでもいいというようにのそのそみんなの間を歩きまわっていましたが、じつはどうして嬉しさでいっぱいなのでした。みんなはたばこをくわえてマッチをすったり楽器をケースへ入れたりしました。 ホールはまだ・・・ 宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
・・・こういう風にのそのそしている内に、視神経が萎縮を起したら大変だと思います。もしかしたら年内にもう一遍眼底をみてもらうかも知れません。本は本屋から着きましたろうか。 毛布のことわかりました。毛布とどてらと一緒にお送りしたいものだと思ってい・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・私はいつまで立っても来ない、あきてさぞあくびをする事だろう、いよいよ私の来ないと知った時はきっとのそのそと足をはこんで外の男のところへ遊に行くにきまって居るんだ。こんなかわいそうなむほんぎは心の片すみに起った、そして私はその時の女のこまった・・・ 宮本百合子 「砂丘」
市が立つ日であった。近在近郷の百姓は四方からゴーデルヴィルの町へと集まって来た。一歩ごとに体躯を前に傾けて男はのそのそと歩む、その長い脚はかねての遅鈍な、骨の折れる百姓仕事のためにねじれて形をなしていない。それは鋤に寄りかかる癖がある・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
出典:青空文庫