・・・いずれも宣教師の哄笑の意味をはっきり理解した頬笑みである。「お嬢さん。あなたは好い日にお生まれなさいましたね。きょうはこの上もないお誕生日です。世界中のお祝いするお誕生日です。あなたは今に、――あなたの大人になった時にはですね、あなたは・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・は長火鉢に頬杖をつき、半睡半醒の境にさまよっていた。すると小さい火の玉が一つ、「てつ」の顔のまわりを飛びめぐり始めた。「てつ」ははっとして目を醒ました。火の玉はもちろんその時にはもうどこかへ消え失せていた。しかし「てつ」の信ずるところによれ・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ 鬼どもは一斉に「はっ」と答えながら、鉄の鞭をとって立ち上ると、四方八方から二匹の馬を、未練未釈なく打ちのめしました。鞭はりゅうりゅうと風を切って、所嫌わず雨のように、馬の皮肉を打ち破るのです。馬は、――畜生になった父母は、苦しそうに身・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・店は熔炉の火口を開いたように明るくて、馬鹿馬鹿しくだだっ広い北海道の七間道路が向側まではっきりと照らされていた。片側町ではあるけれども、とにかく家並があるだけに、強て方向を変えさせられた風の脚が意趣に砂を捲き上げた。砂は蹄鉄屋の前の火の光に・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ と優しい声を聞いて、はっとした途端に、真上なる山懐から、頭へ浴びせて、大きな声で、「何か、用か。」と喚いた。「失礼!」 と言う、頸首を、空から天狗に引掴まるる心地がして、「通道ではなかったんですか、失礼しました、失礼で・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ とじっと見詰めると、恍惚した雪のようなお君の顔の、美しく優しい眉のあたりを、ちらちらと蝶のように、紫の影が行交うと思うと、菫の薫がはっとして、やがて縋った手に力が入った。 お君の寂しく莞爾した時、寂寞とした位牌堂の中で、カタリと音・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・ と対手が小児でも女房は、思わずはっと赧らむ顔。「嘘じゃねえだよ、その代にゃ、姉さんもそうやって働いてるだ。 なあ姉さん、己が嫁さんだって何だぜ、己が漁に出掛けたあとじゃ、やっぱり、張ものをしてくんねえじゃ己厭だぜ。」「ああ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・これではいけないと思って、ふたたび静かなところに出て耳を澄ましますと、またはっきりと、よい音が聞こえてきましたから、今度は、その音のする方へずんずん歩いていきました。いつしか日はまったく暮れてしまって、空には月が出ました。 さよ子は、か・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・と、お姉さんは、しかってから、はっとして、いつも弟に小言をいう悪いくせに気がついて顔を赤くしました。 小川未明 「ねことおしるこ」
・・・数字だけがはっきり頭に来た。女の方が年上だなと思いながら、宿帳を番頭にかえした。「蜘蛛がいるね」「へえ?」 番頭は見上げて、いますねと気のない声で言った。そしてべつだん捕えようとも、追おうともせず、お休みと出て行った。 私は・・・ 織田作之助 「秋深き」
出典:青空文庫