・・・鬣を三度撫でて高い背にひらりと飛び乗った。鞍もない鐙もない裸馬であった。長く白い足で、太腹を蹴ると、馬はいっさんに駆け出した。誰かが篝りを継ぎ足したので、遠くの空が薄明るく見える。馬はこの明るいものを目懸けて闇の中を飛んで来る。鼻から火の柱・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・久しぶりに青天を見て、やれ嬉しやと思うまもなく、目がくらんで物の色さえ定かには眸中に写らぬ先に、白き斧の刃がひらりと三尺の空を切る。流れる血は生きているうちからすでに冷めたかったであろう。烏が一疋下りている。翼をすくめて黒い嘴をとがらせて人・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・銀色の羽をひらりひらりとさせながら、空の青光の中や空の影の中を、まっすぐにまっすぐに、まるでどこまで行くかわからない不思議な矢のように馳けて行くんだ。だからあいつは意地悪で、あまりいい気持はしないけれども、さっきも、よう、あんまり空の青い石・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆をひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、「うわあ、兄な、木ペン取てわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・飛行船はもう小屋の左側の大きな岩の壁の上にとまって、中からせいの高いクーボー大博士がひらりと飛びおりていました。博士はしばらくその辺の岩の大きなさけ目をさがしていましたが、やっとそれを見つけたと見えて、手早くねじをしめて飛行船をつなぎました・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ 平右衛門は手早くなげしから薙刀をおろし、さやを払い物凄い抜身をふり廻しましたので一人のお客さまはあぶなく赤いはなを切られようとしました。 平右衛門はひらりと縁側から飛び下りて、はだしで門前の白狐に向って進みます。 みんなもこれ・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・ネネムはよろこんでたぐり寄せて見ますとたしかに大きな大きな昆布が一枚ひらりとはいって居りました。 ネネムはよろこんで「おじさん。さあ投げるよ。とれたよ。」と云いながらそれを下へ落しました。「うまい、うまい。よし。さあ綿のチョ・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・ からだがつちにつくかつかないうちに、よだかはひらりとまたそらへはねあがりました。もう雲は鼠色になり、向うの山には山焼けの火がまっ赤です。 夜だかが思い切って飛ぶときは、そらがまるで二つに切れたように思われます。一疋の甲虫が、夜だか・・・ 宮沢賢治 「よだかの星」
・・・若い木霊は大分西に行った太陽にひらりと一ぺんひらめいてそれからまっすぐに自分の木の方にかけ戻りました。「さよなら。」とずうっとうしろで黄金色のやどり木のまりが云っていました。 宮沢賢治 「若い木霊」
・・・ 渦にでも捲かれているように、人波に逆らい七八歩も黒い頂を傾け浮いて行ったかと思うと、ひらりと白羽毛飾を向き更らせ、皆の来る方に動いている。が決して、十字街の此方に車道を踰えようとはしなかった。暫く鋪道の端れの一箇処で羽毛飾が揺れると見・・・ 宮本百合子 「小景」
出典:青空文庫