・・・が心に微風が吹く――あとから、あとから微風が吹いて通る――。〔一九二〇年二月〕 宮本百合子 「追慕」
・・・ 細かに細かに千絶れた雲の一つ一つが夕映の光を真面に浴びて、紅に紫に青に輝き、その中に、黄金、白銀の糸をさえまじえて、思いもかけぬ、尊い、綾が織りなされるのである。 微風は、尊い色に輝く雲の片を運び始める。 紅と、紫はスラスラと・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・の委員であった諸氏の内には、もとより混り気のない心持で、日本の美風良俗をいかがわしい自然主義の傾向から守ろうと思って参加していた人達もあったであろう。しかし今日歴史の大局から当時を顧みれば「文芸委員会」の客観的本質は、偽善なく現実社会の曝露・・・ 宮本百合子 「矛盾の一形態としての諸文化組織」
・・・またあの柔かな雛罌粟が壺にささって微風に赤々と揺らめくと、妻はかすかな歎声を洩して眺めていた。この四角な部屋に並べられた壺や寝台や壁や横顔や花々の静まった静物の線の中から、かすかな一条の歎声が洩れるとは。彼は彼女のその歎声の秘められたような・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・水を打たれた青菜の列が畑のように連なって、青い微風の源のように絶えずそよそよと冷たい匂いを群集の中へ流し込んだ。 彼は漸く浮き上った心を静に愛しながら、筵の上に積っている銅貨の山を親しげに覗くのだ。そのべたべたと押し重なった鈍重な銅色の・・・ 横光利一 「街の底」
・・・桂の愛らしい緑や微風にそよぐプラタアネの若葉に取り巻かれた肌の美しい女神の像も彼には敵意のほかの何の情緒をも起こさせなかった。台石の回りに咲き乱れている菫や薔薇、その上にキラキラと飛び回っている蜜蜂、――これらの小さい自然の内にも、人間の手・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫