・・・「おい、はいる気かい?」「だってせっかく来たんじゃないか?」 Mは膝ほどある水の中に幾分か腰をかがめたなり、日に焼けた笑顔をふり向けて見せた。「君もはいれよ。」「僕は厭だ。」「へん、『嫣然』がいりゃはいるだろう。」・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・入学試験に及第しなかったら、………「美津がこの頃は、大へん女ぶりを上げたわね。」 姉の言葉が洋一には、急にはっきり聞えたような気がした。が、彼は何も云わずに、金口をふかしているばかりだった。もっとも美津はその時にはとうにもう台所へ下・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・へん、大袈裟な真似をしやがって、 と云う声がしたので、見ると大黒帽の上から三角布で頬被りをした男が、不平相にあたりを見廻して居たが、一人の巡査が彼を見おろして居るのに気が附くと、しげしげそれを見返して、唾でも吐き出す様に、・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・気の利いたような、そして同時に勇往果敢な、不屈不撓なような顔附をして、冷然と美しい娘や職工共を見ている。へん。お前達の前にすわっている己様を誰だと思う。この間町じゅうで大評判をした、あの禽獣のような悪行を働いた罪人が、きょう法律の宣告に依っ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・あれでもおんなじ女だっさ、へん、聞いて呆れらい」「おやおや、どうした大変なことを謂い出したぜ。しかし全くだよ。私もさ、今まではこう、ちょいとした女を見ると、ついそのなんだ。いっしょに歩くおまえにも、ずいぶん迷惑を懸けたっけが、今のを見て・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・「おんちゃん金魚がへんだ。金魚がへんだよおんちゃん」「へんだ、おっちゃんへんだ」 奈々子は父の手を取ってしきりに来て見よとの意を示すのである。父はただ気が弱い。口で求めず手で引き立てる奈々子の要求に少しもさからうことはできない。・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・「そやさかい、岩田はんに頼んどるのやおまへんか?」「女郎どもは、まア、あッちゃへ行とれ。」「はい、はい。」 細君は笑いながら、からの徳利を取って立った。 友人は手をちゃぶ台の隅にかけながら、顔は大分赤みの帯び来たのが、そ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・病膏肓に入ったもので、無知なる田夫野人の口からさえ故事来歴を講釈せしむる事が珍らしくないが、自ら群書を渉猟する事が出来なくなってからも相変らず和漢の故事を列べ立てるのは得意の羅大経や『瑯ろうやたいすいへん』が口を衝いて出づるので、その博覧強・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ところが先生たいへん怒った。それから私はそのわけをいいました。アノ『基督教青年』を私が汚穢い用に用いるのは何であるかというに、実につまらぬ雑誌であるからです。なにゆえにつまらないかというに、アノ雑誌のなかに名論卓説がないからつまらないという・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・そして、子供らの将来の幸福をねがうように、からたちの木のいただきを三、四へんもひらひらと舞うと、あだかもあらしに吹かれる落ち葉のように、女ちょうの姿は、青空のかなたへと消えていったのであります。 秋草の乱れた、野原にまで、女ちょうは一気・・・ 小川未明 「冬のちょう」
出典:青空文庫