「何しろこの頃は油断がならない。和田さえ芸者を知っているんだから。」 藤井と云う弁護士は、老酒の盃を干してから、大仰に一同の顔を見まわした。円卓のまわりを囲んでいるのは同じ学校の寄宿舎にいた、我々六人の中年者である。場所・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・石をのせた屋根、こまいのあらわな壁、たおれかかったかき根とかき根には竿を渡しておしめやらよごれた青い毛布やらが、薄い日の光に干してある。そのかき根について、ここらには珍しいコスモスが紅や白の花をつけたのに、片目のつぶれた黒犬がものうそうにそ・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・ ふと、軒に乾した煙草の葉と、蕃椒の間に、山駕籠の煤けたのが一挺掛った藁家を見て、朽縁へどうと掛けた。「小父さんもう歩行けない。見なさる通りの書生坊で、相当、お駄賃もあげられないけれど、中の河内まで何とかして駕籠の都合は出来ないでしょう・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・……お待ち下さい……この浦一円は鰯の漁場で、秋十月の半ばからは袋網というのを曳きます、大漁となると、大袈裟ではありません、海岸三里四里の間、ずッと静浦の町中まで、浜一面に鰯を乾します。畝も畑もあったものじゃありません、廂下から土間の竈まわり・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・省作が四挺の鎌をとぎ上げたころに籾干しも段落がついた。おはまは御ぜんができたというてきた。 昨日はこちから三人いって隣の家の稲を刈った。今日は隣の人たちが三人来てこちの稲を刈るのである。若い人たちは多勢でにぎやかに仕事をすることを好むの・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 僕が十二月二十五日の午前に帰って見ると、庭一面に籾を干してあって、母は前の縁側に蒲団を敷いて日向ぼっこをしていた。近頃はよほど体の工合もよい。今日は兄夫婦と男とお増とは山へ落葉をはきに行ったとの話である。僕は民さんはと口の先まで出たけ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・晴れきって明るくはあるが、どこか影の薄いような秋の日に甲羅を干しながら、ぼんやり河岸縁に蹲んでいる労働者もある。私と同じようにおおかた午の糧に屈托しているのだろう。船虫が石垣の間を出たり入ったりしている。 河岸倉の庇の下に屋台店が出てい・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ 男はキュウと盃を干して、「さあお光さん、一つ上げよう」「まあ私は……それよりもお酌しましょう」「おっと、零れる零れる。何しろこうしてお光さんのお酌で飲むのも三年振りだからな。あれはいつだったっけ、何でも俺が船へ乗り込む二三日前・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ ある朝、彼は日当のいい彼の部屋で座布団を干していた。その座布団は彼の幼時からの記憶につながれていた。同じ切れ地で夜具ができていたのだった。――日なたの匂いを立てながら縞目の古りた座布団は膨れはじめた。彼は眼を瞠った。どうしたのだ。まる・・・ 梶井基次郎 「過古」
・・・黄に枯れた朝鮮芝に赤い蒲団が干してある。――堯はいつになく早起きをした午前にうっとりとした。 しばらくして彼は、葉が褐色に枯れ落ちている屋根に、つるもどきの赤い実がつややかに露われているのを見ながら、家の門を出た。 風もない青空に、・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
出典:青空文庫