・・・ また下士の内に少しく和学を研究し水戸の学流を悦ぶ者あれども、田舎の和学、田舎の水戸流にして、日本活世界の有様を知らず。すべて中津の士族は他国に出ること少なく他藩人に交ること稀なるを以て、藩外の事情を知るの便なし。故に下等士族が教育を得・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ 昔者、旧水戸藩において学校の教育と一藩の政事とを混一していわゆる政治教育の風をなし、士民中はなはだ穏かならざりしことあり。政教混一の弊害、明らかに証すべし。ただ我が輩の目的とするところは学問の進歩と社会の安寧とよりほかならず。この目的・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・ 昔者、旧水戸藩において学校の教育と一藩の政事とを混一していわゆる政治教育の風をなし、士民中はなはだ穏かならざりしことあり。政教混一の弊害、明らかに証すべし。ただ我が輩の目的とするところは学問の進歩と社会の安寧とよりほかならず。この目的・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・古びた信玄袋を振って、出かけてゆく姿を、仙二は嫌悪と哀みと半ばした気持で見た。「ほ、婆さま真剣だ。何か呉れそうなところは一軒あまさずっていう形恰だ」 明後日村を出かけるという日の夕方近く、沢や婆は、畦道づたいに植村婆さまを訪ねた。竹・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・大衆のこのみに合うことが必要となって来る。大衆のこのみとはどういうものだろう。こまかくしらべれば大変複雑で、音楽好き、映画好き、スポーツ好き、様々ではあるが、大体、人間として一応興味をひかれることがらというものはある。衣、食、住のこと、それ・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・ 明治十二年に茨城県の国生という村の相当の家に生れた長塚節は水戸中学を卒業しないうちに病弱で退学し『新小説』などに和歌を投稿しはじめた。 正岡子規が有名な「歌よみに与ふる書」という歌壇革新の歌論を日本新聞に発表したのは明治三十一年で・・・ 宮本百合子 「「土」と当時の写実文学」
・・・ 明治十二年に茨城県の国生という村の相当の家に生れた長塚節は水戸中学を卒業しないうちに病弱で退学し『新小説』などに和歌を投稿しはじめた。 正岡子規が有名な「歌よみに与ふる書」という歌壇革新の歌論を日本新聞に発表したのは明治三十一年で・・・ 宮本百合子 「「土」と当時の写実文学」
・・・小さいが、奥みと落付きある御堂であった。特に、ここには、正面入口の中央に、大理石で、日本信徒発見記念のマリア像が在る。 空模様もよくなったので、私共は浦上へも行くことにした。浦上と云えば、静かな田舎であろうと思って居たところ、長崎の市の・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・手には白いかみとそして鉛筆をもって、詩「ローズー、ローズ、まってたでしょう、行きましょう」窓の下で心地のいい声を上げました。ロ「まってたの、早く行きましょう」机の上から何か小さい白い紙を取り上げました。二人のつり合った形のいい影は細・・・ 宮本百合子 「無題(一)」
・・・ 舟は西河岸の方に倚って上って行くので、廐橋手前までは、お蔵の水門の外を通る度に、さして来る潮に淀む水の面に、藁やら、鉋屑やら、傘の骨やら、お丸のこわれたのやらが浮いていて、その間に何事にも頓着せぬと云う風をして、鴎が波に揺られていた。・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫